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第四話 朔風花払 ―きたかぜはながはらう― (十四)

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<十四>


◇◇◇

 ドン、と突き飛ばされるように、縛られたまま桐眞とうまは板の間に転がされた。

「姫、すこし外の様子を見てくる」

 身体をひねりながら、なんとかゆっくりと起き上がると、いつの間にか男がいた。否、書生姿から言って、あれが咲保の言っていたクロタケに違いない。つまり、玄武げんぶが人に化けた姿だ。黒い打掛の女性に向かって『姫』と呼んだのは、主従関係なのだろうか。

「シロは大丈夫であろうか……なにやら嫌な臭いも漂ってくる」
「水底が破れただけだから無事だろうが、なにがあるかわからん。姫はここにいてくれ。すぐに戻る」

 障子が、また閉められてしまった。外からの音も消え、様子をうかがい知ることもできなくなる。

(シロ……まだ仲間がいるのか?)

 状況がわからないことには、桐眞も下手なことはできない。しかし、先ほど見た水柱は、助けが来たのではないかと期待も高まる。ならば、せめて、足手纏いにならないよういましめだけでもとければ、と何度も繰り返してきたように、二の腕に力をこめて外側に押してみた。

(お?)

 ヌシさま、とそっと息を吹きかけるような声で女から呼ばれ、首筋がむずむずした。

「思いがけず、少々、取り込んでしまいましたが、すぐに収まりましょう」
「おまえたちは、何者なんだ。なんのつもりだ。なぜ、こんな真似をする」

 怒りを可能な限り抑えて、桐眞は尋ねた。刺々しさは残ってしまったが、それでも女は片手で口元を隠し、肩を揺らした。目元がほんのりと赤らんで見えた。

「その……急にお姿を見かけぬようになって、いかがしたかと。随分とお探し申し、やっと見つけた嬉しさに、いてもたってもいられず……」
「……どこかで会っただろうか?」

 いいえ、と答えが途切れた。もじもじと恥じらう可憐かれんな女の様子に、桐眞もそれ以上なんとも言えず複雑な気持ちになった。これが人ならば、と思わなくもなかった。

「その……時折、聞こえてくるお声に聞き入り、こっそり覗いておりました……一度ならず何度か声をかけようと思いはしたものの、姿を見られて浅ましいとお思いになるのではないかと恥ずかしく……されど、思いは募る一方で……お許しください」

 恥ずかしくなったのか、両袖で顔を隠した。美しい上になんとも情熱的で、いじらしささえ感じる。

(だが、モノだ)

 一方的な思いを告げられたところで、受け入れられるはずもない。こんなやり方も、だ。人を辞める気など、桐眞にはさらさらない。

「どこでだろうか。探したと言っていたが」

(あちらはどうなっているのか……誰が来てくれたんだ?)

 危険をおかしてまで迎えに来てくれたのだ。玄武がどれほどの力量かはわからないが、ここで安穏あんのんと待ってばかりもいられない。探ってみても、他に気配も感じられないところから、今いるのはこの目の前のモノ一体だけなのだろう。討つことはできずとも、逃げ出すことはできるかもしれない。まずは、救援と合流することが先決だろう。

(どこか隙ができないものか……) 

 まるおの早さを思えば、一瞬だけではだめだ。すぐに追いつかれる。ある程度の時間、足止めが必要だ。と、微かに脚に触れる柔らかい感触を感じた。見れば、影からのびた灰色のぶちのついた丸い前脚が、膝の側面にそっと触れていた。
 桐眞は喜びの声をあげそうになるのを、必死でこらえた。脚を軽くゆすり、気づいたと合図を送る。

「声を聞いていたというのは、ひょっとして輝陽きょうだろうか?」 

 蘇芳すおうを隠すために身体をいざらせ、女の意識を会話に向けさせようと問いかけた。すると、女は感激したように、そうです、そうですと何度もうなずいた。

「あの頃の主さまはまだ幼く、ほんにお可愛らしゅうございました」

 音ひとつなく、影から小さなかたまりが出てくる気配があった。身体に擦り付けるようにして動きがあり、指先に紙の感触がふれた。子猫に何度も擦り付けられ、紙を手にするよう促しているようだ。女に気取られないよう慎重に指先を動かして、紙の端をつまんだ。それだけで、胴の縛めの力が緩んだ。封印を解く札だ、と確信した。もう一枚あったが、そちらは触れるな、と避けられる。

「輝陽のどこだろうか」
「社にございます」
「輝陽には神社が多くあるが」
「夕刻近く、訪れる人もまばらな寂しいお社に、一時は毎日のようにおいでになられていました。訪れるたびあげられるヌシさまのほぎに、どれほど心慰められたことか……ひとたび耳にすれば、あまりの心地よさにうっとりと聞き惚れるばかりにございました」

(ああ、あそこか! あの頃の!)

 輝陽の祖父のところへ送られ、毎日のようにしごかれていた時だ、と桐眞もやっと思い当たった。まだ習ってもいない漢字ばかりの祝詞のりとを意味もわからず幾つも暗記させられ、その意味も長々と覚えさせられた。武術の稽古けいこはそれなりに楽しくもあったが、身体から青あざが消えることはなく、なんでこんな目に、と常に不満を抱えていた時期だ。
 厳しいばかりの祖父に、祖母は優しくはあったが、細かい所作にまで受ける注意は重箱の隅をつつくようで、息が詰まるようだった。知流耶ちるやもいたが、小言ばかりでうるさい。近所の同年代の子どもからは、余所者よそもの扱いされ、ことばの違いから友達をつくることも難しく、ますます口が重くなるばかりで、今でも無口と言われるのは、その頃を引きずっているのだと思う。そんな中、唯一、桐眞の気晴らしになったのは、近所の散歩だった。全てがわずらわしく、とにかく、一人になりたかった。
 その社は、祖父の家から少し離れた位置、民家の立ち並ぶ一角にひっそりとあった。古い小さな社で、なんの変哲もない、特に見るところもないよくある神社だ。だが、外からもわかる、妙に近寄りがたい空気が漂っていた。最初、見かけた時は入るのを躊躇ためらったほどだ。だが、不思議と気が引かれた。三輪明神みわみょうじんまつられていたからかもしれない。三輪明神、すなわち大物主神おおものぬしのかみだ。その頃から、桐眞と相性が良いと言われていた柱だ。いざ、初めて柱の降臨を経験してみると、別の柱だったが。
 鳥居をくぐれば、きちんと手入れの行き届いていたことに、ほっとした。たまにに放置された社に、物の怪やら何やら得体の知れないろくでもないものがみついていたりもするからだ。
 誰もいない境内けいだいは静かで、社殿の横、奥まったところに池があって、クサガメや小さい鯉が泳いでいるのを、ぼうっと眺めて過ごした。たったそれだけで、妙に気分が落ち着いた。すっきりした気分で、去り際に礼がてら、おさらいのつもりで社殿に祝詞をあげたのは、ただの気まぐれだった。だが、行くたびに、なんとなくそれが習慣になった。

(あそこにいたのか……)

神楽歌かぐらうたもお聞かせいただいた時には、こっそり舞いの真似事をして、ほんに楽しゅうございました。祝詞の上達されていく様にも……今日の祝詞は良かった、明日はもっと上手になっているだろう、と日々の楽しみとなったのでございます」

 桐眞は、不意に、胸に込み上げるものを感じた。目の前の女に、共感めいたものさえ抱いた。

「それが、どれほど慰めになったことか。いつからか、今日は来るか、明日は来るかと一日千秋の思いで心待ちするようになったのでございます。ところが、いつからか、訪れがぱたりと途絶え、如何いかがしたかと寂しく、急な病を得たのではないか、不慮ふりょの災難にあったのではないか、と心配もいたしました。人の命ははかなきものゆえ、いつ何があってもおかしくないと……その時になって、一言、お声がけをすればよかったと後悔したのでございます」
「それで、探したと……?」
「せめて、ご無事であれ、と。一目お会いできればと、せめて、一声でもお聞かせ願えれば、と、あの楽しき日々を胸にお探し申しておりました。そして、ようやくご無事だと知れた時は、喜びに打ち震えるほどでございました」

(あぁ……)

 これだから、モノは困るのだ。本当に困る。ひどく残虐にもなれるくせに、時には、子どものような無垢むくな心を隠そうともせず、見せつけてくる。いっそ、悪と断じれられれば楽であるのに、そうではないから困る。
 
「それでも、こうしてご無事で立派になられていたこと、まみえられたことがうれしゅうてなりませぬ」

 だが、しかし――と、桐眞は指先を動かした。

「誠に遺憾ながら、少々、手荒な真似もいたしましたことお詫び申し上げます。ただ、一度もお会いしたことのない、一介のモノが名乗りをあげたところで、お目通りすら叶いませんでしたでしょう。お許しください」
「確かに……」

 正攻法で来たとしても、まるおが追い払ってしまっていただろう。それは間違いない。

「されど、ようやくこうして無事にお会いできました。しばしの間、御ゆるりとお過ごし遊ばされて……きゃっ!」

 ガラスの割れるような音が響いた。部屋の結界が割れた音だ。桐眞の合図で飛び出した蘇芳が障子に体当たりするようにして、札の力を使って壊した。同時に、桐眞も水の縄を断ち切った。自由になった身も軽く、瞬時に立ち上がり、転げ出るようにして外に飛び出した。

「ヌシさまっ!」

 女の声が追いかけてきたが、構わず走る。集中し、心を空にする。

大己貴命おおなむちのみことご降臨ください」

 一滴の水が滑り落ちてくるように御霊みたまが降りると、はらの底から力が沸き立つ。見下ろす坂の下、蛇の巻きつく巨大な玄武の甲羅が見えた。その向こうには、色鮮やかな緑の羽根をもつ孔雀がいる。背に剣を手にした童子を乗せ、華麗な羽根を見せつけるかのように大きく広げていた。そして、その背後に妹の姿も認めた。

生太刀いくたち!」

 手にした剣を抜き放ち、坂道を下る勢いに合わせ、地面を強く蹴った。高く跳び上がり、玄武と孔雀明王くじゃくみょうおうの間に割って入る。
 着地と同時に、孔雀に絡まる玄武の水の縄を断ち切った。さらに、振りかぶってきた明王の剣を生太刀で受け止め、飛びかかってきた蛇の頭を素早くさやで払いのけた。が、さらに向かってきたので、一刀のもとに斬り落とす。落とされた蛇の頭は、ちりとなって散じたが、切り口からはすでに新しい頭が生えていた。だが、桐眞だからなのか、力量差がわかったのか、二度と手向かってくることはなかった。
 孔雀明王は、剣を止めた時点ですぐに手を引いてくれたものの、邪魔をされたのが気に食わなかったのか、孔雀がきしむ声で鳴きながら突こうとしてきたので、蛇の頭を切り落とす傍ら、長い首を鞘で殴って黙らせた。菩薩ぼさつにも威圧を込めて卑睨ひげいされるが、ひるむものではない。一瞬でそれらを成し遂げた桐眞は、腹の底から声を張り上げた。

「双方退けぃ! この場は、大己貴命の名にて預からせてもらう!」

 


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