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正直に書くと、嫌われると思っていたのかもしれない。

noteに来てからかれこれ1年半を

迎えようとしている。

わたしの気持ちを置いておく場所としての

noteだった。

それだけで充足していた日々。

ひとりでも気にならなかった。

そしてぽつりぽつりとと交流がはじまって、

今は親しいnoteの仲間の方とも知り合えた。

どこかでわたしは「いい人」に

みられたいって想っていたのかも

しれない。

「いい人」なんかじゃ全然ないのに。

それに気づかされたのは、この詩の

言葉に触れたからだった。

大好きな谷川俊太郎さんの詩だ。

IMG20211127234957 (1)新聞

冒頭の

物でも人の生き方でも
美しいなと思うと
一呼吸おいてこれでいいのか
と思うのは何故だろう
どこにも悪が見えないと不安になる
ほんの少しでも醜いものが隠れていないと
本当でないような気がする

この言葉の並びに心を覗かれた

ような気持ちがしてずっと

気になっていた。

こういうところわたしの中に

おおいにある。

あまりに優しい人に会うと、

どこかでバランスをとって生きて

言って欲しいと思う。

優しくない人は嫌いなくせに

そう願ってしまう。

営業スマイルだと知って安心する

ことのほうが落ち着きがいい。

犬の気持ちはよくわからないけれど。

犬たちが飼い主の言うことを聞きすぎて

従順に見える時には、

もっとわがままいいなよ!

ってな気持ちになる。

もっと飼い主を困らせなよって。

もしかしたら、小さい時に母親が

他のお母さんと喋ってる時に

「育てやすいいい子でよかったね」って

よその子供のことを言っているのを聞いた

せいかもしれない。

育てにくくてごめんねみたいな気持ちが

ずっとあったのかもしれない。

今は流石にそこにとどまっていないから

平気だけれど。

探ればそんなことだったのかもしれない。

そして谷川さんの詩を読み進める。

自然を目にするときは違う
不安も何故もない
雨が降っても風が吹いても
自分が今そこで生きているだけ
無限の自然が自分を受け入れている
と言うより自分が自然の生まれだと知って
そう思える自分が嬉しい
心は雲とともに星々とともに動く

なんて風通しのいい眺めだろう。

じぶんがひとつの木と変わらないと

おもえるぐらいの清々しさ。

人間世界に疲れているのかもしれない。

みんな疲れているよね、大なり小なり。

そして谷川さんはこう続ける。

でもなんでわざわざ書くのかと思う
言葉を自分の中に取って置けずに

溜め息がでそうになる。

書いている人達はみんなそうかも

しれない。

心の中の言葉をどうしてじぶんだけの

ものにできないんだろう。

しまっておけないんだろう。

不思議だなって思う。

いつだったかゼロちゃん、嫌われるのが

こわいんでしょって指摘された。

そんなことはないって思ったけど

そんなことはあったのかもしれない。

どこかで、「いい人」に思ってもらい

たいと、必死だったのかもしれない。

「いい人」になろうとして書いたわけ

では決してないけれど毎日記事をアップ

している中で、かけがえのないいろいろな

方と知り合えた。

その言葉をいってくれた彼女にも

感謝している。

今まで書いていたことも嘘では決して

ないけれど。

谷川さんの詩の冒頭のようなことは

心の中でしょっちゅう想っていることだ。

自分が同じ目にあうと、

ま、我慢するかってなるけれど。

誰かが悩んでいたら、もっとわがまま

言いなよっていつも言ってる。

言えない時は心の中で言ってる。

noteはじめて1年と半年ほど。

今やっとこういうことも言えるように

なったのかもしれない。


どうして書くのって きっと百万回 言っている 
誰かの言葉が 降ってくるよ ほら傘を貸してあげる


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