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そんなあなたのコンプレックスが、好きだったりする。

自意識過剰なんだとその人は言う。

人の目が気になってあれこれ先回りしてしまうと。

結婚生活って減点システムでしょって、書いてあるのを読んで笑って
しまった。

そうだったの?

結婚したことないけど、そういう仕組みだったの?

って。

持ち点がはじまりはたっぷりあるのに、それがヘマをするたびに、減って
しまって。

後何年もしたらもうマイナスになってるんだと、悲しそうなふうに綴る。

ほんとうに。ほんとかよ。ほんとに思ってんのかよ。

ってツッコみたくなる。

ぼくの人生はコンプレックスの連続だったと、彼はいつも嘆く。

嘆く声を聴いたことはないけれど、いつもそう彼は答えているのだ。

雑誌とかいろいろな媒体に。

彼が言うそのコンプレックスとなっているらしいものをなんども

わたしは、なぞってみる。

スタバでカッコよく注文ができないとか、

エスプレッソは苦すぎて苦手だとか。

お菓子が主食のようになっているとか。

コンプレックスレフェリーみたいな人たちがいたとしたら、

ホイッスルをピーピーピーって吹いて、そのラインからちっとも
はみだしていないですよ、H・Hさんって言いそうなぐらい。

でも、彼がコンプレックスだって言ってるから、そうなんだねって
思ってあげることにしている。

この間書いた、嫉妬の話だけれど。

わたしは彼の作品にも大いに嫉妬した。

あーゆーじぇらす?

っていうゴスロリ系の科学捜査官が同じ職場のウブっぽい特別捜査官
胸元を指先でつんつんつんって突きながら言うシーンがあったけど。

H・Hさん、彼のあからさまな告白にまいってしまって、好きになった。

嫉妬してるの?

って聞く時は、好きな人にしか聞かないものだ。

彼がいう所の劣等感満載の文章などは、チャーミングで、うっかりおなじ
種類のひとかもしれないと、錯覚してしまうぐらい。

だから彼の文章を読んでいる時はたぶん、信じられないぐらいフラットに
彼の領域に触れているんだけれど、読み終わるとどっとなんていうか、
ぽっかりと静寂。

油断してるとたちまち輪の中から追い出された気分になって、じぶんの
感じてるコンプレックスのあれこれが浮き彫りになってしまうという
仕組み。

彼のコンプレックスに付き合っているうちに、じぶんのそれに気が付いて。

あなたのほうがちゃんとしてるわ。数倍ちゃんとしてるじゃないって、気持ちに駆られてしまう。

コンプレックスって、みんな言いすぎる。

言えばいいってもんじゃない。

たいてい、それはコンプレックスのうちに入らんぞって怒りたくなる。

だから彼の文章を読み時は、ひとりではなくてふたりで読む。

わたしの人生のややこしさを知ってくれてる人、つまりそれはわたしの母
だけれど。

彼女と読むと、静寂のなかに笑いが混じってシンプルに楽しめたりする術を最近おぼえた。

読書は基本一人だけど。

読み終えてひとりで背負いきれなくなると、ふたりで読んで、

笑い飛ばす。

ぼんちゃん(マイ仮名)にも、そういうところあるね。

ふたりは似てるんじゃない?

わたしは、結構面倒くさい性格なので、

この

ふたりは似てるんじゃない?

という、魅惑のフレーズをたぶん聞きたいんだろう。

だから、どうした! なんだけど。


窓の外で風が鳴る。

わたしの住む町は晴れていても、たえず風が暴れていて、風が鳴いている。

ふと、じぶんの書き留めた手帳のページをめくっていたら、

<どこからが音楽か>という問いかけをしながら

<天空に葉音に波濤に向かう>太鼓奏者の男の人の言葉に出逢う。

<自然界に人間社会のあらゆる現象に無限のリズム、無限の音楽が流れているように思う>
と、語られていて。

それを目で追っているうちに、ちょっと反転した気分。

ひとりひとりは、それぞれのリズム体なのだと気づく。

そして。

だれのものでもなく。

じぶんのリズムで生きてゆきたいわ、っていう結論にたどり着く。

パーカッションのリズムに身をゆだねていたら、いつまでも終わらないで
ほしいと思う、

あの原始的な幸福のさなかにいるような、あの感覚が甦って来た。

(ブレスするのが難しい文章になってしまってすみません)

今日も長い長いひとりごとにお付き合いいただきありがとうございました!

今日は

♬渡辺庸介さんの パーカッションソロ

をお送りします。めっちゃ、カッコいいです😍

ではどうぞお聞きくださいませ♬


      あこがれを フィルター越しに 覗く秋の日 
      触れられる 距離の近さに 深淵うかんで


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