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声が小さくて、引き算のできない子供だった。

いまわたしが夢中になっているのは

周回遅れだけど、ドラマ『カルテット』だ。

はじまりは、『大豆田とわ子と3人の元夫』だった。



そのちょっと前は、映画『花束みたいな恋をした』

での執筆までのエピソードを脚本家の

坂元裕二さんが答えていらっしゃった。

「僕はいつも、観た人が『これは自分の話だ』と
感じてほしくて脚本を書いています。でも、初めから
多くの人に分かるように書こうとは一切考えません。
一人の人間の個人的な話が、結果として普遍性を持ち、
多くの人に受け入れられる。それがカルチャーの本質
であってほしいんです」

そんなインタビュー記事をみたことあって

彼の作品は、惹かれない惹かれないようにして

いても、どこかで自分の話じゃないのかって

おもってしまうところがある。

そしていつもノックアウトされて好きになっている。


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『カルテット』は30代の夢を捨てきれない音楽を

目指している彼らがある日、カラオケボックスで

”偶然”出会う。

それは秘密と言う名が隠された偶然だったのだ

けれど。

見始めた時、あぁこれはデジャヴュ感あるなって

思ったシーンがあった。

松たか子さん演じる巻真紀さんのある性質だった。

真紀さんは声が小さい。

松田龍平さん演じる別府さんも、

高橋一生さん演じる家森さんも、

満島ひかりさん演じるすずめちゃんも

みんな真紀さんが小声で喋るとき

耳を寄せ合って一生懸命真紀さんの声を

聞こうとしている。

このシーンをみていて、なんか琴線が

ちょっとふるえた。

誰ももう少し大きな声でとか言わないし

真紀さんの声の大きさにあわせて耳を

寄せるだけ。

そして一生懸命聞きとろうとしている。

こういうところ坂元裕二さんはほんとうに

うまいなって思う。

本筋とは関係ないところでこういうふうに

人の性質のようなものを掬い取るところ。

そして自分もそうだったって想う。

真紀さんと同じでわたしも小声だったけど。

声をもっとはってって言われて、どんなに

声をはってもあまり大きな声はでなかった。

だから学校でもあまり声をださなくなって。

そのまま喋らないまま、放課後を迎える

ことも実はあった。

わたしは声がちいさいことがコンプレックスに

なったけど。

真紀さんは、みんなと軽井沢の別荘で4人暮らし

しながら、気が付いたらふつうの声で話して

いたりして。

お話とはいえ、真紀さんの人生はいろいろあった

けれど、彼らがいる限り幸せの香りが漂っていて

これからもずっと続くといいねって思いながら

みていた。

『カルテット』は、わたしの子供時代を連れて来る。

小声のことを思い出していたら、わたしは算数の

引き算がおそろしく出来ない子供だったことも

想いだしていて。

あの繰り下がりの引き算の時に、一つ上の位から

10借りてきてっていう母の声に、わたしは解せな

くてわからないまま数字を追いながら、最後に

答えが出た時に、まだなにかどこかに借りっぱなしの

ような気がしていて。

すべてをどこか借りた場所に返していないような

そんな気持ちになっていた。

母は引き算できないわたしに怒っていたけれど。

それでも、親戚のお兄さんはわたしに引き算が

できるまで、付き合ってくれたりして。

いつのまにか、遅いけれど、たどたどしくなら

引き算できるようになっていた。

『カルテット』観ていた時は、わたしには、

真紀さんをやさしく取り囲む人達には恵まれて

いなかったよって思いながらも、ゆっくりと

じぶんの来た道を振り返ったら、ぽつぽつと

わたしのことに耳を傾けようとしてくれた

人たちがいたことを想いだす。

小声で喋るわたしに耳を傾けて聴いてくれたのは、

はじめて好きになった人だった。

だから、なんていうかほんの一瞬でもひとは誰かに

寄り添ってもらえた経験があったらそれを

思い出しながら、なんとかなることも

ありそうだねって。

ドラマ『カルテット』の最終回を見て

あの砂場に足をとられながらみんなが

遅刻しそうだと楽器を抱えて笑いながら

急いでいるあの姿がまぶしくて、お話は

終わるけれどじぶんの人生は続くのだな。

時々寄り添ってくれた人のことを想いだし

ながら続けていくんだなってそんなことを

想っていた。


聴いていた 誰かの言葉 耳にとじこめ
どこまでも 徒然なるまま 満ちてゆく月





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