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記憶が上書きされた日。編集者さんの言葉を書き留めたノートから。

わたしがはじめて署名でエッセイを書かせて
頂いたのはwebになる前の紙の雑誌
「ダ・ヴィンチ」だった。

その頃はまだ、公募でエッセイを書く人を
募っていて。

わたしは、打たれ弱いのに挑戦してしまう
という性分なので。

かつて好きだった人のことと、詩人の金子光晴の
『女たちへのいたみうた』について書いて、なん
とか佳作にすべりこめた。

優秀賞は誰もいないというパターンだった。

書いてみますか?

よければ採用しますという話だった。

採用されれば原稿料が発生する。

色々なジャンルの本を紹介するところの扉に
掲載されるエッセイを幾年か書いていた。

今も読み返すと、四苦八苦した跡がここ
かしこに見え隠れしている。

編集者さんと初めて仕事した。

編集者さんと組まれたことのある人は、
誰もが経験済みだと思うけれど。

より厳しい目で原稿を焦げるほど
みている方達だ。

雑誌は読者へのサービス業であるから、
読者へのサービスが行き届いていないと
判断されると、すぐさまにダメだしが出る。

サービス。

この概念がそもそもわたしにはわかって
いなかった。

広告であったその約束を雑文を書く時は
度外視して書いていた。

その頃はわからなかったけど、のちのち
そういうことだと骨身にしみた。

わかりにくい。

言葉が届いていない。

何を言いたいのかわからない。

一つの文章の中に言いたいことが
いくつもある。

たいていこう言われた。

読者を想って書いてくださいと必ず
指摘された。

読者を想うという発想もそもそもなかった
から書いていて苦しかった。

そして毎回、朱色の原稿になって返ってくる。
編集者だけではなくて校正者からの疑問という
注意点も頂くので、ダメだし祭りのさまだった。

コピーライターの時とは違う、雑誌に文章が
さらされるということへの恐れが
半端じゃなかった。

おそろしい緊張が走ったけれど、書くしかなかった。
案の定ダメだしが続いた。

比喩が決まりすぎて気持ち悪い

と、言われた時は流石に凹んだ。

気持ち悪くない比喩の心掛けがわからなかった。
それでも、雑誌に掲載されるまでには編集者の
言葉に必死にくらいついて、オッケーをもらう
まで書き直した。みんなそうやって、クリアし
ているのだから、と。

どこがって言えないんですが、最初の段落から次の段落
までの、なんていうか冒頭のニュアンスと違うっていうか、
色が変わりすぎて気持ち悪いっていうか、起承転結の
おしまいに落とし込まれてないでしょ?

起承転結のセオリーを叩きこまれたあの頃。


編集者とは書き手には見えない文章の死角を示唆
して読者が読み解けるための、アドバイスできる
人であるのだと今ならわかる。

それは修行という名をかぶせていたので
続いたのだと思う

まだ修行なのだわたしは。
だから耐えなければいけないと。

これは性格だと思うけれど。
練習とかが、ただただ好きなタイプかもしれない。

本番はいつまでもこなくていいよと。

誰も気づかないぐらいの仕事では
あったけど。

わたしの記憶の中では、「きもちわるい」の
あの言葉しか言われてないと思っていた。

ここ15年以上。

それで、この間、部屋の掃除をしながら
過去の手帖の整理もしていたら。

ちょうどあの頃の手帖がでてきた。


大好きだったモスキーノの手帖。


黄色いモスキーノのノート。

このノートのそこかしこに、編集者さんから
言われた言葉がびっしりと書き込まれていた。

この感想、ゼロさんは断定されていますけれど。
ほんとうにそうですか?
ツッコミ流石痛い所ついてきはるわ!

ツッコまれたところに感心しとるの図。

とか。

今読んでいても、細かく指摘してくださっている。

ほんとうにそうですか?

ってこれは第三者の目でみてもらわないと
書いている本人は慣れっこになってて、
その思いの出どころさえ疑うことがないから。

フィクションの中でもエッセイでもこんなふうに
文章の中の「ほんとう」が「ほんとう」は
あるのだ。

そこを踏み外さないように彼女はみてくれて
いたことを今知る。

2本ともボツと言われたとか、でも再考すれば
出口はみえてきそうです。と言ってくれたとか。

わたしが書くという行為の意味を…。
やっぱり書いていくうちにしか発見はないのだと
思う。覚悟を決めないとワープロの前に向かえない。
臆病なところいいのやら悪いのやら。

スーパー凹んだときのつらつら日記。


とか。

ボツ原稿ではあったけど、

新しいところにチャレンジなさっていること感じました。

とか。

そしてあの「きもちわるい」と言われた件の日記は
4月12日だった。

その日は珍しく3本採用されたのちの言葉がそれ
だったらしい。

よく日記を見ていると、

ゼロさんはカラーがある意味ありすぎるんですね。
比喩はとても上手なので…。
でもこのまま連載してゆくと読者が飽きることが
あるかもしれないので、淡々と描くとか会話を試すとか
工夫をしてみてくださいね。
そうすれば、バリエーションに富んだものがぜったい
書けるはずですから。

この日の日記を読んでいて、あぁと思った。

しとしとと励まされている。

この言葉のことずっと忘れていた。

あの6文字だけが頭にこびりついていたけれど。

こうやって、じゃあどうすればいいかという
ことを、伝えてくれたことを知った。

この6文字に対してわたしはネガティブな発信を
noteでもTwitterでもしていた。

過去のくやしさや嫉妬やふがいなさを
言葉に復讐させていたのかもしれないと思った。

そしてじぶんの日記から彼女の言葉をみつけて
長い間トラウマになっていた言葉がいま
かさぶたがはがれていることを感じている。

誰の役にも立たないけれど。

記憶っていちばんはじめに傷ついた場所だけを
覚えているものだなと。

忘備録のようなnoteを、

あともうすぐでnoteはじめて3年になる時間が
やってくるそんな日に書いておきたかった。

長いものお読みいただきましてありがとう
ございます。


はじめての署名記事に祖母のことを書きました。
紹介したのは久世光彦さんのエッセイでした。


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