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「いま天使が通ったね」、あの沈黙も大切な会話だった。

わたしには友達が少なかったから

誰かと会話したことを思い出すのは

仕事していた時の先輩のスーちゃんを

よく思い出す。

ちょっとだけ入社が早いコピーライターの

先輩だった。

もらったお給料はすべて350ccの

アメリカンスタイルのバイクにつぎ込んで、

そのバイクは相棒で、おまけにスーちゃんの

脚のようでもあった。

(⇈イメージ的にはこういう乗り方のスタイルでした)

わたしは仕事の締めきりに間に合わなく

なりそうになると、てんで優先順位が

わからなくなってうろたえてしまう

ことがあって。

それは今でもよくあることだけど。

目の前のもの、一番先にどれに手を

つけたらいいのか何かみえなくなって

しまう。

そんな時にはいつも、あわてんでも

ええねんでって。

そばに来てチーフの目を盗んで

声をかけてくれた。

そして、わたしじゃなくてスーちゃんが

ひとりで大きく頷くのだ。

言われたのはわたしなのに。

大丈夫やでって言う感じで頷いてくれる。

夜はあの頃徹夜が当たり前に多くて。

ふたりでよく夜中まで原稿を書いていた。 

この話終わらないかもって思い切り

はしゃぎながら話をしていたのに、

ふいに、ふたりのあいだに間が訪れた

ことがあった。

その間が、だれにもなにもしゃべらせて

くれないような、つかのまの間の間。

またそれがすごい濃い間で。

スーちゃんが

「いま、天使が通ったな」って、ふと言った。

え?

は?

だからな、いま、天使が通ったなって

言うやんってスーちゃんがいつもは

大きな声なのに小声でほほ笑んだ。

知ってたけどそれをほんとに言った人は

映画以外ではスーちゃんしか知らなくて。

すごい近所迷惑になるぐらいの笑い声で

笑いたかったけれどなぜだかふたりで

がまんした。

その時言わなかったけれど。

たったひとつの間は、ただの沈黙じゃなくて。

たったひとりの天使かもしれないかもなって

思った。

その天使が通り抜けてゆくのをわたしたちは、

静かにまっている時間だって思うと、とても

ふしぎな時間を共有しているような気がした

のだ。

毎日チーフのみゆきさんに怒られてばかりで

文章の起承転結がなっとらんって朱の入った

原稿にだけ愛されていたけれど。

この一瞬をスーちゃんと共有できたことが

むしょうにうれしかった。

後で知ったけど。

フランス語では「アナジュンパス」といった

ニュアンスで、言われるらしく。

ふいにいろいろなフランス映画を思い出し

ながら、そんな映画のどれもが、登場人物が

みんなおしゃべりだったことも同時に

思い出した。

恋愛映画なはずなのに、肝心の恋愛よりも、

恋愛を語る映画になっていたりして。

彼らはほんとうに、よくしゃべるのだ。

フランスの人は会話してなんぼの人なんだ

ろうなって思う。

ちょっとそういうところ関西人に似てる。

だからかなって思う。

そんな途切れることのない会話の中に、

ふいにおとずれた一瞬の間は、とても

とくべつなもののように感じたのかも

しれないと。
 
そうあのときのスーちゃんは言った。

言葉を扱う仕事の人間らしくじぶんなりに、

表現をアレンジして伝えてくれた。

「あれは、天使やなくて、凪やな」 って。

言葉が側にある仕事をするってこういう

ことの積み重ねなんだなってて教えて

もらった。

凪っていいなって思ったから。

時々ふたりの会話のなかに間が思いがけず

やってくると、ふたりで、

「今、凪やったね」ってふたりの暗号の

ように使っていた。

おだやかな波のような時間の贈り物。

会話は声だけで成り立っているんじゃ

なくて、

そんな凪もふくめてひとつの会話なん

だなって思った。

映画の中でも、誰かがなにかをしゃべって

いた時より、なにもことばにできなくなった

時の好きな役者さんの表情が印象に残って

いたりする。

みえていないものも、時間を構成する大事な

一員なんだなって。

あれってかけがえのない凪だったんだなって

もう逢えない人のようにスーちゃんのことを

思い出していた。

(以前書いた記事を少しアレンジしました)

不器用な 天使がひとり 通ったような
空足を 誰かが踏んで 凪訪れて
 

                                    こんなことやってます

                               みなさんありがとうございます

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