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いつか会えるよ、きっといつか。

地図を片手にはじめての場所へと訪れた時、

脇道の石畳を歩いていた。

石畳って下を向いて歩いてしまう。

それを道しるべのように辿って行くと

一軒家についた。

石畳って、あなたここに行くといいよって

言われてるみたいに感じることがある。

そこは足を踏み入れたとたんに、古い

たたずまいなのに、

なつかしさをやわらかく拒絶していて。

その凛とした空間の潔さみたいなものが

気に入って、長居してしまった。

そこはギャラリーだったけど。

そこから帰るとき同じ石畳なのに、また下を

向いて帰ったことがあった。

石が好きなんだと思う。

小さい頃もそうやって歩いていたんだろう。

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いつだったか、

ひとつの石に惹かれてしまった。

なんの変哲もないんだけれど。

てのひらにすっぽりとおさまって軽く

にぎりこぶしをつくれるぐらいの

そんなどこにでもある大きさの石。

ブルーノ・ムナーリが、1985年に来日したときに

置き土産として置いていった石らしい。

こんなふうな感じで、

その石はいびつなだ円をしていて、

横にすっと長く白い傷跡が残ってる。

横長のだ円を貫くような白い傷はいっぽんの

道にみえてくる。

それが道にみえるのは、ムナーリがそれを

道に見立てて自転車に乗ってる人を

マジックペンらしきもので描いているから。

もう少しで、ぐるりと石の裏にまで辿りつけそうな

地点に彼はいる。

どっちが表か裏かわからないけれど、それを

裏っ返すと、同じようにだ円の上の方に

刻まれたさっきよりは細い道を

一匹の犬が歩いてる。

その犬の風情がなんていうかあてもなく。

ただ歩くことだけに思いを馳せてるようなそんな

たたずまいがなんともいえない。

<同じ石の表と裏に描かれてしまった犬と人は、
こんなに近い場所にいるのに永遠に出会えない>

っていうキャプションつきで。

知らなくてよかったのに知ってしまって、

そういうこといわないで欲しいと思いつつ

永遠に出会えない石の上に生まれた

犬と人に

釘付けになってしまった。

かつて、こんな石の上の犬と人であったことが

じぶんにもあるような気がしてくる。

人と出逢うってなんだろうとこの石を見ていて

ふと思う。

誰かと出逢ったときの楽しさや切なさや

もろもろの思いは、そのただ中にある時よりも、

ひとりになってから感じたりすることが多い。

誰かがそこにいなくなってからのほうが

その人の輪郭がありありと浮かんだり。

一緒にいる時はそんなに見ていないのだ。

そこにいるのがあたりまえだから。

すきもきらいもどことなくも、

あとからあとからやってくる。

すべての感情が時差でやってくる感じは、

あの石の上の犬と人の関係をみているようで。

これを見た時はひたすら寂しかったけれど。

今は、ちょっとちがう。

この自転車のひとと、一匹の犬はきっと

いつか会えるよ、きっと会えると思っている。



路地裏の たんぽぽのそばで 出会った犬が
なつかしい まなこのままで うぉんと哭く

       

 

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