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いま、なにがみえてる?

わたしは算数ができなかった。

父曰く、引き算という概念が

ぼんちゃんには、なかったねって

言った。

なにかから、なにかを引いていくという

作業が、好きじゃなかったのか。

引き算は背中がすぅすぅする。

たしざんは、お腹がほこほこする。

そんな詩を書くことでしか、算数と向き合え

なかった。

従兄の隆ちゃんは、ある夏休みの

一日だけわたしの算数担当になった。

わたしよりも6歳ぐらいは年上で、

いわゆるお勉強ができた。

父がわたしに教えることがもうお手上げ

だったので。

隆君、一日だけでいいから教えて

あげてくれないかな? ってことになった。

隆ちゃんと、わたしは部屋の中にふたりで

いた。

机の前にはドリルの問題のページが

開いていた。

ぼんちゃん、今な、なにがみえてる?

って隆ちゃんがドリルに目をやりながら

聞いた。

今?

そう、今。

隆ちゃんは畳みかける。

その問題のなかで何が見えてるか

言って?

わたしは目の前じゃなくてあたりを見渡した。

ドアやろ?
ピアノやろう?
ピアノの上のレースのカバーやろ?
赤いじゅうたん。
カーテン。
天井。
コーヒー。
クッション。

って言った時、隆ちゃんがもっと近寄った

場所になにがみえる? って言った。

近く? あ、わたしと隆ちゃんがいる。

そやな、ぼんちゃんとぼくがおるな。

おるで!とわたしは得意げに言う。

そんで今なにをしてる、ぼくらは?

いまか? あ、嫌やけど算数のドリル

って答えた時、わたしは

「なにがみえてる?」って問いかけは算数の

問題のことだとやっと気づいた。

なにがみえてる? って算数の問題の

ことか!って何かを発見したみたいに

隆ちゃんに言った。

そうや、その話しか今してへんで。

って返された。

それは遊びの時間じゃないよという

宣言でもあった。

そしてやっと本題に入りましたって感じで

隆ちゃんは、今この問題はなにを聞いて

きてる? って言った。

そしてわたしは、台形と三角形のなんかの面積を

聞かれてるって答えた。

そして、台形の中にある三角形の面積を求める

という問いにたどり着くまで、

長い時間を要した。

三角形はこの中に何個ある?

という問いに△しか△じゃないと思っていた

わたしは一個と答える。

▽も三角形であることを知らなかった。

挙句の果て。問題用紙をひっくり返してみ! 

って言われて用紙の裏を確かめるような

子供だった。

まあ、こんなふうにわたしはとことん

勉強が向いていなかったわけだけど。

この日の隆ちゃんのことを思うと、とても

気長に怒らずに、遠くからとことこ小さい

子供が歩いてくるまでにじっとだまって

見守り続けてくれたのだなと、ちょっと

じんとする。

この会話はこのあと永遠と続くのだけれど

わたしはここでいう「なにがみえてる?」

という問いかけを大人になって自分宛てに

問いかけることがある。

「see」という言葉を見える以外にもなんか

わかったって! 思う時の

I see.

のように。

みえるって、今の状況が見えるっていうことで

あり。

その見えるは、理解できたよ、この状態このわたしの

とんでもない現実!

みたいなふうに置き換えて

じぶんに問いかける。

あの時の隆ちゃんのわたしへの算数の問題の

理解度を測る問いかけは、

現実をちょっと整理したい時のとても

しっくりくる言葉なのだ。

心の中で「なにがみえてる?」って問いかけると

すぐじゃないけど、解決の糸口がみえてくる。

そしてたった9文字のその言葉を想うと

幼かったあの頃の隆ちゃんのやさしさも

同時によみがえってくる。








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