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悲しみを書いて、悲しみを遠ざけた。

悲しみの行方ってじぶんでもよく

わからないけれど。

ここからここまでって線を引けるわけ

じゃない。

気がついたらうっすらとかなしみの

ボーダーラインみたいなものが、

遠のいていることに気づくことがある。

6年前、大好きな人を失った時に、

はじめて深淵をのぞいたような悲しみに

であったときにわたしがしていたのは

書くことだった。

その時にいつもそばに置いておいた

ノートがある。

ほんとうは何冊もあるのだけれど。

昨日すこしおそるおそる開いてみた。

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このノートは、彼への手紙のように

書き綴った。

書くって癒しなんだってはじめて

体験した。

届くはずのないことばを、毎日書いた。

それは私自身の内面をみつめるような

旅の始まりだったし。

出会いがあって別れがあって、今生の

別れがあることは予期していなかった

ので、後悔もした。

あの時点からやりなおせたらいいのにと

世界線を想像したりもした。

身近な人を失った時には12個の段階が

あると聞いたことがあるけれど。

わたしのノートにも、受けいれられない

悲しみから怒りへと変わり、死を受容して

ノートの最後の方では彼の死については

ほとんどなにも書かれていない。

今日こんなことに腹が立ったとか

こういうふうに、言われたんだけど

どう思う? とかが書いてあって。

あの頃のじぶんの心の変遷がそこに

つづられているようで少し恥ずかしい。

そしてこの2冊のノートの日付はかなり

前のものになるけれど。

noteを始めた頃にはもうすっかり空白が

目立っている。

空白はなんか埋めたい気もする。

でも、わたしがもしあの日から毎日この

ノートを使い続けていても彼は喜ばない

だろうなって思う。

きっと、こころをもっと自由にしてほしい

って思っただろうなって思う。

そして、ちゃんとわたしの思うがままに

生きてほしいって。

たくましく生きろってたぶん彼なら

言っただろう。

そしてなにげなくそのノートの帯のところの

名前をみていた。

ネーミングは、カミーノって書いてあった。

カミーノ。

スペイン語で「道・轍・航路」の意味らしく。

「道を切り拓き、新しいことを進めて行く」と

記されていた。

このノートを買った時はすがるようにして

たどり着いたけど。

今思うと、その言葉こそが彼の言葉だった

ような気がして。

すいすいとはいかないけれど、それでも

海の水面に航路が描けるように少しずつ

でも前に進んでいきたいなって思う。

はじまりの おわりのはじまり いつもループ
おわっても おわってないよ ありがとう飛ばすよ


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