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点でつながっている、時間とかあなたとか。

すっごくきれいな瞳をしたひとを見たって

いうからそれはてっきり女の人かと思ってたら、

鹿の目だったらしい。

そんな小説があったけれど、どれだったか

忘れてしまった。

森の中で迷って果てに見たものが、鹿の目なんだって

思ったらそれは、それですてきな出会いなのかも

しれないと。

そんなどうでもいいようなことをつらつらと

思い出しながらバスの車窓を見た。

車窓に映るまぶしい光のせいで近くにある

お寺の林が主人公が迷っていたらしい森の中に

みえてきて妙な感じを味わっていた。

バスからみる景色って、どこかへ行く時だったら

ちょっと緊張したスクエアな感じで見えたりするし

もし、それが帰り道の車中だったら、ちょっと

輪郭がゆるんだりして、昼間見えていたものが

見えないそんな大人っぽいやさしさを、感じたり

することもある。

今日、わたしが目にしたいろんな視線を点で、

つないでいったらどんな形になるんだろうって

思った。

この間、あんまりやる気がでなかったので、映画見て

からにしようと

『マイ・ルーム』っていうディカプリオや

ダイアン・キートンが出ていた映画を見た。

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その中でささやかだけど、とても印象的なシーンを

バスの車窓に映る温かくまぶしい光を感じていたら

ふと思い出してしまった。

老いてしまった父を介護しながら、ずっと共に

暮らしてきた娘ダイアン・キートンが、父との日常の

あれこれが一息ついたころを見計らって、いつも

する遊びがあった。

父がくつろいでいるベッドの横に腰かけながら

彼女は小さな鏡を持って、天井や壁にかざす。

光が戯れてゆくのを子供みたいな父のきらきらした

視線をゆっくり目で追いながら楽しむ。

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さっきまで、真っ白で無機質だった天井や壁は

ありとあらゆる側にある光を吸収して、

ジェリービーンズをちりばめたみたいな色を

映し出す。

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ちいさな、どこにでもある鏡がいつもの部屋を

夢のような光で満たしてゆくそんなシーン。

その光をみつめながら娘は静かな口調で

オーロラみたいねって父に話しかける。

たったそれだけのシーンなのに。

ひどく私の脳裏に焼きついていた。

いまがうつつでいまもゆめで。

父のことを介護しながらも自分が重い病に

冒されていることは父に隠しながら日々を

明るさで包みながらこなしてゆく彼女。

水面がゆれるように、光が舞う景色をまとい

ながらふたりははじめて光を見るように

ながめてる。

もしかしたら、彼女の父親は目の中に映った

一瞬の光の景色をすぐに忘れてしまうかも

しれないけれど。

おなじものを見ている時間、

うまくいえないけれど、父と娘。

ふたりがたしかにそこにいた時間って

ほんとうにかけがえのないものなのかも知れない

って思った。

ちっちゃな子供がいつかしたことのある

他愛無いあの遊びが奇跡のような光となって

まるで大きなおとなふたりを見守り続けている

みたいだった。

あのシーンを思い出すと、そんなたいせつな

時間がいまもせつない残像のように胸のずっと

奥の方でひろがっているような気になる。

いつも映画の中の父と娘をみると、すごく

感情移入してしまう。

現実では父とわたしはぜんぜんそんなこと

ないのに。

どこか幻をみながら気持ちを整えている

そんな時間が映画を観るってことなのかな

なんて思いつつ。

迷ってる 林の中で 出会うまなこよ
伝言は ひかりのなかに まぎれてしまう
 

いつも、笑える方向を目指しています! 面白いもの書いてゆきますね😊