見出し画像

眠れない夜と、知りすぎている背中。

栞はずっと眠れていない。

眠りたくないのか眠れないのか

もはやどっちでもいい。

寝苦しかった日は、うっすらと眼が

たぶんなにか夢を見ていたような気が

するけれど、

そこに登場していた見知った人は、家族

らしき人達に囲まれて微笑んでいた。

眠りの前、栞はいつも泣きそうになる前の

あの感情に似たものが、よぎってゆく。

昔はいつもあたりまえに側にいたひとが、

唐突に映像として眠りのなかにひたひたと

分け入ってくると、胸のどこかがふらっと

ゆれる。

家事の合間に本棚を眺める。

本棚にならんでいる本の背表紙も冬と

ちがって息をしているかのように、

なまあたたかい。

あの人の声が聞こえる。

本棚の前に立つと、ページをめくらずとも

あの人の声が聞こえるようになったのは

眠れなくなったころと同じころの出来事

だった。

<眠っている人間は自分のまわりに、時間の糸、
歳月と世界の秩序を、ぐるりとまきつけている。>
          ユリイカ・2001年4月号より

聞こえてきた。

あの人も言っていた。

眠っている人の世界ではいつもそれが

夢だと知っている人のほうが幸福だ。

潤の言葉だった。

ゆめのなかの秩序は、ゆめのなかでは

おおよそ正しいはずなのに、めざめたせつな、

時間を辿ることができないくらいに、でたらめに

なって挙句の果てには、ふいに途切れてしまう。

途切れてしまったものは、もうどこにも存在

しなかったかのように、なにものともつながら

ないし、ただこっちは空白のなかに、

放り出されてしまう。

生まれてはじめて<夢>を見た人のことを

教えて、

潤にそう問いかけたことがあった。

答えはすっかり忘れてしまったけど。

ベランダに出た時、空を仰いで太陽を

みないようにして目をぎゅっと閉じた。

昼間にそうすれば、夜眠れるってちょっと

バカみたいな安眠できそうなことが

どこかのサイトに書いてあった。

夜になるとわたしは、返事がないことは

わかってるのにって宙にむかって

彼の名を呼んだ。

さっきまで読んでいた「ゆめのなか」という

本の背表紙に指が触れた時。

ふいに睡魔に襲われた。

バカな睡眠法のやつって栞はつぶやきながら

フローリングで死んだ人のようにくずおれた。

目をつむると、わたしはオレンジ色の光に

包まれていた。

画像1


輪郭がぼんやりしている背中が見える。

誰? って心の中でつぶやいた。

栞だよって声が聞こえた。

名前を呼んでくれてるの? って聞いた。

違う、あの背中が栞だよって声がする。

栞は今眠ってる。

栞が眠りに落ちるとは、潤が生きていた時

最期にみていた瞳のなかに住むことだった。

潤がみていた最期の景色がわたしの背中だった

ことを栞は知った。

知りすぎているぐらいに知っていたけど。

はじめてじぶんの背中を見ていた。

それは潤とふたりで閉ざされたページの中で

生きる静かに息をひそめている生き物のよう

だった。

おびただしいほどのことばの海の中で、

溺れてしまったような、あるはずのものが

ほんとうは、もうすでに失われてしまって

いるかのようにふたりはオレンジ色の

光の中にまぎれていった。

📚        📚     📚     📚

今回はこちらの素敵な企画に参加させて頂きました!

久しぶりに小説らしきものを書いてみました。

ここまで読んで頂きましてありがとうございます。

甘い風 とぎれとぎれに 漂いながら
夏の雪 どこまでも降る 夢の中まで



この記事が参加している募集

私の作品紹介

眠れない夜に

いつも、笑える方向を目指しています! 面白いもの書いてゆきますね😊