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永遠という名のあなたへの手紙。#とわ子さんへ

もう10月が残りすくなくなっている。

日記帳をみると、ぽつぽつと言葉が

あちこちに書いてある。

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note始めてからこの日記に記す言葉が

すこし口数少ない。

その分noteの記事にその口数を

ゆずってしまっている。

今年の日記帳をめくってみる。

夏の手前頃のとある日。

ドラマの台詞が書いてある。

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三度結婚していて今は独身の働く

女の人が出会いがしらのように

あたらしい出会いをする。

彼女は穴の開いた靴下を平気で履いていて

コロッケは買った途端にその場で食べて

しまいたくなるような、飾れない人生を

生きた親友を亡くしたばかりで。

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ときどき彼女のことを思い出しては

ふさぎそうになるのだけれど。

仕事が建設会社「しろくまハウジング」の

社長ということもあって。

社員のことを思うと、そうそう泣いても

いられない。

そして仕事がらみだとはつゆ知らず、

新しく出会った彼にこう言われる。

「過去も現在も未来も誰かの考えだ」って。

とつとつと、唐突に語り始めるに。

あの? どういうことでしょうか? と

無言のまま内心あっけにとられる。

っていうか不審にさえ思う。

彼、小鳥遊は続ける。

「過去とか未来とか現在とか、そういうのって、どっかの誰かが勝手に決めたことだと思うんです。時間って別に過ぎてゆくものじゃなくて、場所っていうか、その……別のところにあるもんだと思うんです。人間は現在だけを生きてるんじゃない。5歳、10歳、20歳、30、40、そのときそのときを人は懸命に生きてて。それは別に過ぎ去ってしまったものなんかじゃなくて。だから、あなたが笑ってる彼女を見たことがあるなら、彼女は今も笑ってるし。5歳のあなたと5歳の彼女は、今も手をつないでいて。今からだって、いつだって気持ちを伝えることができる」

この言葉を聞いて突然死んでしまった

親友かもめのことで罪悪感や喪失感で

いっぱいになっていた彼女の表情が

すこしだけやわらいだ。

そんな彼女につられてじぶんも、知らないはずの

彼女かもめが小さかった頃、まるで友達だった

かのようにのドラマの中の回想シーンを想い

出そうとしていた。

彼女はとわ子という名前だった。

とわ子のとわは永遠のとわだ。

とわに誓う、とわに愛してる。

とわ子と言う名をもった人は永遠なのだ。

永遠を背負ってる。

永遠子じゃちょっと、なまなましいから

ひらがなにしたのだろう。

💌

とわ子さん、あなたはわたしの大好きな人

たちにとても愛されています。

未だに、とわ子があの時さ、あんなふうにって

みんなあなたの表情や言葉を思い出しては

折に触れて語ってます。

そこはとわ子と一緒とか違うとか。

そして小鳥遊の言葉をもう一度よみなおして

みるのです。

この言葉を聞きながら、人は生きている時も

いまの実年齢ではなくて時に幼年期や、ちいさな

手のひらをしていた頃や20代、30代、40代を

記憶の中に遡らせながら、もしくは年を重ねた

老年期のことも思い浮かばせたりしているもの

じゃないのかなって思うのです。

母が幼い頃、海で溺れかかった頃(あれは泳いで

いたのと力説します)の話をなんども聞かせて

くれる時のように。

その度に母の幼かった頃、まだ出会って

いなかった頃の母を思い描いていたりします。

だから亡くなった人を想い出す時は

想い出すというよりも、その都度都度

出会った頃の時間がそこに現れるのかも

しれないと思うのです。

時間ってそういうものなのかもしれないと。

ドラマの中で生きていた人達が

みていた私たちの中でも、まだ生きているって。

それはまるで小鳥遊さんの言葉じゃないかと。

じぶんの中の中ですごくリアルに響いてます。

最終回の録画はまだ消してません。

あなたがいたのは火曜日。

最終回の火曜日の夜は、ぽっかりでした。

○○ロスって言い方あまり好きじゃないんです。

とわ子ロスじゃない。

とわ子さんはずっとわたしの中にいるような

そんな気がしています。

そして今日という最終回、エンドロールが

終わってもまた明日は続いてるんだって

そんなことをつらつら想っていたんです。

とわ子さんお元気ですか。

💌

そんなに連ドラが好きだったわけじゃ

ないはずなのに。

noteに来てから連ドラが好きになった。

きっと物語の中で生きている人を今までは

たったひとりで好きだったけど。

ここに来てからは、じぶんひとりじゃない

大好きな人達とわかちあえる。

わかちあえるなんて言葉、久々に使う。

もしかしたらじぶんの中からこの言葉を

発したのは初めてかもしれない。

SNSから遠く離れていたわたしは、少しずつ

誰かと好きをわかちあうことを覚え始めてる。


火曜日が とくべつだった 春のまんなか
火曜日が さびしくなった いつかの日付



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