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書かずにはいられなかったこと、書かなくてもよかったこと。

何年か前の冬。

薄緑と濃い緑色のもこっとしたマフラーを

母が洗ってくれた。

でもなんかちがう。

これってほんとうはもっとはじめは

長かったし、

幅だってもっと広かった。

じぶんじゃない母に洗濯をまかせた

ばっかりに縮んだけど。

ウールを綿の洗剤アリエールで洗わんでって

心の中で叫びつつ。

思いっきし縮んでるやんって思いながらも、

あの在りし数分前が懐かしかった。

IMG_20211101_224141 (1)マフラー

その時のすっかりべつの顔をしていた

マフラーが干されているのをみたときの

あの失った感は、呆然だったけど。

すっかりちんちくりんになって。

これはわたしが好きだったマフラーじゃ

ないですわって思いながら。

あの失った感ってなんだろうと思いつつ、

わたしにとっては書くことと近いと思った。

書く前の理想みたいなものは、書いていると

ことごとく裏切られるし。

さっきまで見ていたはずの頭の中の風景は

すっかり消えている。

出来上がったものをみると、必ずちがう

顔したものがこのnoteのしろい雪野原に

黒いささやかな足跡をつけているのを

みつけてしまう。

むかし聞いた言葉。

わたしたちは言語で世界をとらえ<対象が実在すると思っている>
でもそれは<虚妄>だと、

おっしゃっていて。

なかったことの証明ほど不可能なことは

ないっていうけれど。

note書いている時も同じだ。

ある日、すごく息苦しくなって

気が付いたらあまり息をちゃんと

しない感じ、緊張する時に息を

止めてる時みたいにして書いていて

じぶんで驚いた。

でも反対にある日発見した。

コメント欄を書いている時たまたま

パソコン画面に光がさして反射していて

じぶんの顔が映っていて、見とうないと

思いながらも視界に入ったその顔は

気づいたら笑ってた。

コメント書く時は笑ってるみたいだ

わたし。

そういう違いがあるんだなって気づいた。

そしてここ最近のnoteは読んでもらいたくて

なんかモテたいみたいなやな感じの

前髪の揃い方を気にする人みたいな

心が邪魔してうまく書けなかった。

うまく書こうとはしていないつもり

だけど。

いつも今旬の気持ちをとらえて。

必ず今日、書かなければいけないことを

みつけて書こうとしているじぶんがいた。

でもそういうことはありえない。

書かなければいけないことなんて

毎日あるひともきっといるだろう

けれど。

わたしにはそんなものはないんだと

知った。

なのにそこに手をつけようとして

いたじぶんがかなり恥ずかしいし。

過去には書くことに血眼になって

もしかしたら書かなくてもよかった

ことも書いた日もあったかもしれない。

いや、きっとあった。

エモーショナルなことは嘘をつき

やすいという側面もあるし。

いつだったか、

主宰の糸井重里さんが、書くということに

ついて書いていらっしゃった。

なにを書くかよりも

なにを書かないかも大事じゃないかって。

書かなかったこと、書けなかったことにも

目を向けたほうがいいよって。

どきっとしたし。

過剰に書こうとしている書かないことよりも

書こうとしているじぶんを見抜かれた

みたいでやはり恥ずかしかった。

あのずんぐりむっくりんなマフラーを

見つけた時、かっこよくはなくなった

けれど、今も好きなマフラーのひとつだ。

書きたいことばかりで日々はできて

いないけれど、そういう日もすこし

ま、いっかってじぶんを認めることも

大切なようなきがしている。

ふぇいくと ふぁくとのはざまを 泳がされてる
あびばのんのんな 秋の陽気 あてはめる空


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