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人を理解・評価するということ

社会や家庭で人と関わることは避けられません

そして、人を理解したり、評価したりする立場になったり
反対に、理解されたり、評価されたりする場面にも遭遇することでしょう

そんな人生に置いて
自分がどれだけ他人を理解・評価でき、
他人はどれだけ自分を理解・評価できるのか

ということは知っておいて損はないのではないでしょうか?

この2つについて
視覚的にざっくりと把握してもらえたらと思います 

自己と他人との理解領域

実際に自分はどの程度他人を理解できるのでしょうか?
下の図を見てください


この図はそれぞれ
赤色が自分の理解できる範囲
青色が他人が理解できる範囲
紫色がお互いが理解し合える範囲
です

この図からわかって頂きたいことは
他人と完全に分かり合えることはできない
ということです

近代哲学の世界では、
デカルトやカントなどによって
人間は主観から逃れられない、だとか
色眼鏡を通して世界を見ている、だとか
こういった意味合いの言葉が多く残されています

つまり自分には
自分しか見れない景色が必ず存在していて
他人にはその人にしか見れない景色も存在しているということなのです

ですから残念ながら
究極的には人間は分かり合えることはないのです

理解・評価の間違い

では、社会や家庭でよく間違えてしまう理解や評価の方法を見てみます



この図のように
自分の中に他人がいるように感じることを
理解や評価だと思っている人はいないでしょうか?

これがよくある大きな間違いなのです
上記で話した通り
人間には主観が存在しています
他人を完全には理解することはできません
自分の理解の中に他人が収まるなんてことは
ありえないのです

ですが他人を理解・評価するときに主観から逃れられない以上
他人を自分に置き換えて考えるという行為は
必要になってきます
自分に置き換えて考えることは重要ですが
自分の理解に収まると勘違いしないように気をつけましょう


なぜこのような感覚になるのか?

自分の中に他人がいるような
そんな勘違いに陥ってしまうのは

親が子供を理解・評価する場合だったり
経験や知識をもった人だったり
恋などで盲目的になった時だったり


視野が狭くなっている時、
自分が優位だと思っている時に多いように感じます


ではなぜこのような間違いが起こるのか
その原因のいくつかをご紹介します

まず
自分が他人を理解したり評価したりする時は
その人の一面を見て理解や評価をすることが多くないでしょうか?

仕事ができる・できない
顔が良い・悪い
テストの成績が良い・悪い
同じ趣味をもっている
同じような経験をしている

このような単一の事柄から得られる情報だけで
他人を理解・評価することが
人間の視野が狭くなる原因につながっているのです


そして
人間にはプライドというものが存在します
経験をしてきた人にありがちなのですが
自分が他人を理解・評価する経験が増えれば増えるほど
自分の理解・評価に自信がついていき
自分の主観で他人を見てしまう
ということも
起こってきてしまうのです

最後に

人間は論理的な生き物のように見えますが
そんなことはないのです
こうだからこう
A→B

なんて都合良く理解・評価できません

最終的に何を伝えたいかというと

他人を理解・評価するということは
とてつもなく難しいことなので
もっと他人の色んな面を見る努力をしてほしい


理解したい誰か(個人)がいるならその人を深く知る努力を
他人(大勢)を理解したいなら、自分の理解できる領域の範囲を広げるための勉強や経験をする努力をして欲しいのです


そして総合的に人間を理解・評価できる人が増えてほしいと
そんな人たちが上に立って創り上げる社会ができればいいなと願っています

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