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1947年生まれ。男性。一応、大学の物理学科卒。 2019年2月、キンドル版電子書籍「…

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1947年生まれ。男性。一応、大学の物理学科卒。 2019年2月、キンドル版電子書籍「般若心経VSサンスクリット原文」刊行。

最近の記事

第68回 これからの仏教⑨ アーナンダ(阿難)の苦しみ!

 アーナンダ(阿難)は釈尊の十大弟子の一人で、釈尊が亡くなるまでの最後の25年間を侍者として近侍し、多聞第一(たもんだいいち)と称されました。  多聞第一と称されるくらいですから、釈尊の説法は全て身近で聞いており、仏説であることを証拠づける証として経典の先頭に冠せられる、「如是我聞(にょぜがもん)=私は、このように聞きました」の「我」のほとんどは、アーナンダのことだとされています。  このアーナンダが、釈尊が亡くなった後第1回目の仏典結集(ぶってんけつじゅう)の会合が開催

    • 第67回 これからの仏教➇ 過去の出来事に、いつまでも捉われる(捕らわれる・囚われる)な!

       第二次世界大戦が終結して77年、阪神淡路大震災が起きて28年、東日本大震災が起きて12年が経過しました。  その日が近づくと、メディアでは、同じような犠牲を繰り返さないよう、記憶を風化させないようにキャンペーンが始まります。  一見、メディアは正しい役目を果たしているように見えますが、釈尊が悟り、世間・世界の真理・真実を説いた仏教の教えからすれば、過去に起きた出来事にいつまでも執着することは、果たして正しいことなのでしょうか?  般若心経の略称で知られる「般若波羅蜜多

      • 第66回 これからの仏教⑦ 延命治療の是非?

        先日、子供達が、私達夫婦の金婚式を祝うために一席設けてくれました。宴席終了後私宅に戻り、コーヒーを飲みながら、久し振りに親子水入らずで語り合いました。  その時、滅多にない良い機会だと思い、私は、自分のリビングウィル(生前の意思表示)について、子供達に伝えておくことにしました。  このシリーズの番外編に書いたように、私は、昨年(2022年)の3月にステージ4の大腸がんの手術を受け、現在も定期的に経過観察を続けています。  手術終了後、大腸がんは腹膜(腹筋?)にも浸潤して

        • 第65回 これからの仏教⑥ 遺物(遺骨・墓・位牌)への呪縛からの解放・脱却!

           一般の人々から宗教が敬遠される大きな理由の一つに、その宗教に入信すると、様々な精神的束縛や経済的負担を強いられることになるという恐怖感があります。  例えば、代表的なケースとして、  壺や印鑑のような高額な商品を購入すれば先祖が救われるとか、多額の献金をすれば自分自身が救われるとか、根拠不明な行為を神の名のもとに実行させたことにより、家族や周囲を巻き込んだ新たな苦しみを作り出してしまった、旧統一教会の事例が挙げられます。  自分を仏教徒だと思っている多くの日本人は、これ

        第68回 これからの仏教⑨ アーナンダ(阿難)の苦しみ!

        • 第67回 これからの仏教➇ 過去の出来事に、いつまでも捉われる(捕らわれる・囚われる)な!

        • 第66回 これからの仏教⑦ 延命治療の是非?

        • 第65回 これからの仏教⑥ 遺物(遺骨・墓・位牌)への呪縛からの解放・脱却!

          第64回 これからの仏教⑤ 「無明」を知り明らめる!

          釈尊が開教した仏教は、一般的な解釈では、無明に覆われた衆生が、仏道修行により無明の闇を取り除き、悟りと呼ばれる究極の境地に到達し、仏陀に成る教えだと理解されています。  しかし、仏陀に成る「成仏」という最終的な目標・結果ははっきりしているのに、そのプロセスの核心である「悟り」と「無明」という二つの言葉の持つ意味・内容は、意外なことに、仏教界では未だに明確になっていないのです。  二つのうち「悟り」という言葉については、般若心経のサンスクリット原文「法隆寺貝葉写本」を翻訳し

          第64回 これからの仏教⑤ 「無明」を知り明らめる!

          第63回 これからの仏教④ 輪廻を拒否する霊魂! 

           人間存在の主体であるアートマン(我=霊魂)は、現生での乗り物である肉体の死後、現生或いは前生で積み重ねた行為の集積である、業(ごう)の結果に従って次生(来世)を得ることになります。  善因を積み重ねたアートマンは西方極楽浄土や天(上)界等の素晴らしい世界へ、悪因を積み重ねたアートマンは地獄へ、悲喜交々の執着を残したまま人生を終えたアートマンは再び人間界(この世)へというように、いずれかの次生へ生まれ変わることになっているのです。  これが、全ての宗教の基盤をなす、輪廻転生

          第63回 これからの仏教④ 輪廻を拒否する霊魂! 

          第62回 これからの仏教③ 「死後の世界」は、実在の世界!

           「死んだらどうなる?」、NHK放送文化研究所が5年毎に行っている「日本人の意識」調査の推移を見ると、「神・仏」の存在は3~4割の人が信じているのに対し、「あの世・来世」の存在は1割前後の人しか信じていません。  日本は仏教国と言われているので、もっと多くの人が「あの世・来世」の存在を信じていると思っていたのですが、意外に少ない結果に驚きました。   阿弥陀如来の「西方極楽浄土」は、空想上の作り話だと思っているのでしょうか? お盆や年忌供養の法要では、一体何を供養しているの

          第62回 これからの仏教③ 「死後の世界」は、実在の世界!

          第61回 これからの仏教② 無我から非我へ!

           現行仏教の教えが理解し難く、又、複雑化している原因の一つに、人間を構成している二大要素、物質的な肉体と非物質的なアートマン(我)のうち、アートマン(我)は無いとする「無我の思想」があります。  サンスクリット語で「アナートマン」と表現されている主要仏教用語を、「アートマン(我)は無い=無我」と解釈し翻訳してしまったために、苦の連鎖である「輪廻」の流れから脱却(=解脱)する人間の主体は何なのか、又、釈尊が証得した「悟り」の真実・真相とは何かが、全く分からなくなってしまってい

          第61回 これからの仏教② 無我から非我へ!

          第60回 これからの仏教① 求道か救済か!?

           私はこれまで、「法隆寺貝葉写本」の新規翻訳の結果明らかになった記述内容と、「スッタニパータ」の記述内容との比較検討から、釈尊が実践・成就した「悟り」と弟子達に伝授した「教え」の復元を試みてきました。  その結果は、恐らく、仏教者・仏教徒を自認する人々に、すんなり受け入れられることはないと思います。  2500年の長きに渡り、言葉(思想、経典)・儀式(祭礼、葬儀)・習俗(法事、法要)・遺物(遺骨、位牌、墓)として現行仏教が築き上げ伝承してきた意識・習慣・行動を、一朝一夕に

          第60回 これからの仏教① 求道か救済か!?

          第59回 悟るのに、信仰心は必要か?

           「悟り」や「悟る」は、仏道修行の最終完成形を表わす仏教用語です。しかし、最近は、日常の色々な場面で安易・安直に使われ過ぎていて、仏教本来の深遠な意味が失われています。  といっても、「悟り」「悟る」という言葉に対して、現在の仏教界で明確な定義付け意味付けが合意されているかというと、甚だ疑問です。  というのは、釈尊が「悟り」を開いて仏教が始まったことははっきりしているのですが、肝心の「悟り」「悟る」とは一体どんなことなのか、未だに謎のままなのです。  当然、どんな修行

          第59回 悟るのに、信仰心は必要か?

          第58回 釈尊は、なぜ無記(=沈黙)を貫いたのか?

           釈尊は、修行者からの問いに対しては、その人の機根(資質)に応じた回答をしていたことが知られています。これを、対機説法と言います。  その釈尊が、いくつかの問いに対しては、全く回答せずに沈黙を貫いたことが仏典に記されています。これを、無記と言います。  釈尊は何も回答しなかったから、記すこと(書き残すこと)は無いという意味です。  全てを悟り仏陀となった筈の釈尊が、なぜ回答を拒否し沈黙を貫いたのか?  仏典に残されたいくつかの無記のうち、代表的な十無記を取り上げ、その真意

          第58回 釈尊は、なぜ無記(=沈黙)を貫いたのか?

          第57回 消された章句、「是空法 非過去非未来非現在」!

            鳩摩羅什訳「般若心経」(魔訶般若波羅蜜大明呪経)に有って、玄奘訳「般若心経」(般若波羅蜜多心経)に無いもの。  それが、「是空法 非過去非未来非現在」の章句です。  非常に重要な教えを説いているのに、なぜか、鳩摩羅什から約250年後の玄奘訳「般若心経」では、この章句が削除されて無くなっています。  今回は、なぜ「是空法 非過去非未来非現在」の章句は削除され無くなったのか、その理由について考えます。  拙著「般若心経VSサンスクリット原文」(キンドル版電子書籍)で解明

          第57回 消された章句、「是空法 非過去非未来非現在」!

          第56回 「妙適清浄句是菩薩位」の真意?

           妙適(みょうてき)は、サンスクリット語「surata(スラタ)」の漢訳で、日本語に訳せば「性的な快楽(恍惚境)」を意味します。  これが、菩薩の境地「bodhisattvapada(ボーディサットゥヴァパダ)」 に他ならない、と説いているのが「理趣経(りしゅきょう)」です。  結婚しているしていないに関わらず、男女の交合(性的合一)そしてそれに伴う「性的恍惚境」は、大多数の成人男女が日常的に経験していることです。  にもかかわらず、「性的恍惚境」が「菩薩の境地」であること

          第56回 「妙適清浄句是菩薩位」の真意?

          第55回 仏教から密教へ! 密教は、なぜ仏教なのか?

           最古の仏教経典「スッタニパータ」と般若心経のサンスクリット原文「法隆寺貝葉写本」から「釈尊仏教」(=紀元前485年の仏教)を復元する試みは、大雑把ですが、前回で終了します。  釈尊は、大きく分けて、「現生での成道・成仏」を目指す出家修行者向けの「求道仏教」と、「浄土世界への死後往生」を目指す在家信者向けの「救済仏教」を説きました。  釈尊の直説を記録した最古の仏教経典「スッタニパータ」には、この二つの教えが明確に区別・整理されることなく、備忘録のように雑然と記されています

          第55回 仏教から密教へ! 密教は、なぜ仏教なのか?

          第54回 復元ポイント「紀元前485年」の仏教⑥ 身体の死と葬送

           現在の日本で、仏教がその存在感・存在意義を発揮する最大のイベントは、葬式です。  時節柄、家族葬や近親者だけで見送る葬式が多くなっていますが、仏教と葬式が強く結び付く構図そのものは変わっていません。  では、仏教と葬式が強く結び付く現在の葬送儀礼は、釈尊の教えに基づくものなのでしょうか?  釈尊の最後の旅の様子を描いた大パリニッバーナ経(大般涅槃経)に、釈尊が亡くなって火葬に付され、遺骨が分配されるまでの様子が描かれています。  真偽のほどは定かではありませんが、仏教で

          第54回 復元ポイント「紀元前485年」の仏教⑥ 身体の死と葬送

          第53回 復元ポイント「紀元前485年」の仏教⑤ 出家と在家

           本シリーズ第31回で、「釈尊は、二つの道しか説かなかった!」という記事を書きました。出家修行者向けと在家信者向けに、異なる二つの教えを説いていたという記事です。  双方に共通する教えというのもありますが、最古の仏教経典「スッタニパータ」には、出家修行者に向けて説かれている教えと、在家信者に向けて説かれている教えとが、明確な区分なしに雑然と混在しています。  「スッタニパータ」という名称自体が、日本語に訳すと「散在する経文を集めたもの=経集」という意味ですから、一本筋の通

          第53回 復元ポイント「紀元前485年」の仏教⑤ 出家と在家