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第65回 これからの仏教⑥ 遺物(遺骨・墓・位牌)への呪縛からの解放・脱却!

 一般の人々から宗教が敬遠される大きな理由の一つに、その宗教に入信すると、様々な精神的束縛や経済的負担を強いられることになるという恐怖感があります。

 例えば、代表的なケースとして、
 壺や印鑑のような高額な商品を購入すれば先祖が救われるとか、多額の献金をすれば自分自身が救われるとか、根拠不明な行為を神の名のもとに実行させたことにより、家族や周囲を巻き込んだ新たな苦しみを作り出してしまった、旧統一教会の事例が挙げられます。

 自分を仏教徒だと思っている多くの日本人は、これを他教徒の話だと冷ややかに見ていると思いますが、実は、仏教徒を自認する日本人も、余りにも日常的な習俗として実行しているため、同じような呪縛に囚われていることに気付いていない数々の仏教儀礼があります。

 その最たるものが、「遺骨・墓・位牌」等の、故人の遺物を尊崇・重要視する仏教儀礼です。

 肉体の系譜を重視する「儒教」等の中国宗教の影響を強く受け、混交した教えとして日本に到達した「仏教」は、釈尊が開教した「釈尊仏教」とは似ても似つかない、儀礼・儀式・経典を至高のものとする日本独自の「日本仏教」として日本に定着しました。

 釈尊が出家修行者や在家信者に向けて説いた教えの根幹は、今「この世(地球上)」に生を受けているということは、苦しみの連鎖である「輪廻」の流れから脱却(解脱)できていないことを表わしている。
 従って、今の人生で、苦しみをもたらし輪廻の原因となる全ての執著(しゅうじゃく)から離れ、二度と「この世(地球上)」の生には戻って来ないよう修行しなさい
ということでした。

 この釈尊の教えを理解し忠実に実行していれば、「遺骨・墓・位牌」等の故人の遺物を子孫代々大事に守り伝えなさい、という真逆の発想は出て来なかったと思うのです。

 しかし現実は逆で、在家信者を先導する立場にある出家修行者(=僧侶)はもとより、大半の自称仏教徒が、「日本仏教」独特の「遺物への尊崇」に呪縛され続けているのです。

 浄土真宗の祖「親鸞」が、「自分が死んだら、遺体は加茂川に流して魚に与えよ!」、と言い遺したことをすっかり忘れているのです。

 ◆ あなたは、小さな骨壺に入った遺骨に、故人の心・魂が宿っていると思いますか?
 ◆ あなたは、お墓の暗くジメジメした閉鎖空間内で、先祖に交じって、故人の心・魂が快適に暮らしていると思いますか?
 ◆ あなたは、誰なのかさっぱり分からない戒名(かいみょう)が書かれた位牌(いはい)に、故人の心・魂が宿っていると思いますか?

 私は、父親の遺骨を納骨するために、建て替えて数年しか経っていない、真新しくピカピカの墓の墓室(納骨室)に入ったことがあります。

 入った瞬間、先祖の骨壺が並ぶ暗くジメジメした墓室の壁一面にナメクジが這い廻っているのを見て、「こんなところには絶対に入りたくない!」と思ったものです。

 科学的合理性や証拠・根拠(エビデンス)を重視する現代人が、釈尊の時代にはなかった、これらの遺物(遺骨・墓・位牌)に対する信仰を大事にし棄てきれずにいるということは、長い時間をかけて築き上げられてきた日本仏教独自の教義・儀礼が、人々の心に大きな精神的呪縛となって深く残存していることを物語っています。

 これまで、硬い岩盤のように日本人の心に根付いてきた「日本仏教」による呪縛も、世界中を席巻した感染症の流行の影響で、期せずして、今、急速に変化の兆しを見せようとしています。

 日本仏教の経済的基盤を支えてきた、「葬儀・法要・法事」に関する行事が、軒並み、大幅な縮小を余儀なくされているのです。

 感染症流行以前から、人口減少により、田舎の方(特に山間部)では仏教寺院の存続が困難になるケースが続出していました。
 それに輪をかける事態が現在進行しつつあることは、間違いありません。

 人が亡くなった後、釈尊の時代のように「遺体は墓場に棄てておけ」というわけにはいかないので、丁重に、礼を尽くして故人の心・魂を送り出すことは必要です。

 しかし、今後は、
 ◆ 遺骨は、残さない!
 ◆ 墓は、残さない!
 ◆ 位牌は、残さない!

ことを基準に、葬送儀礼を一新すべきではないかと思います。

 前にも書きましたが、故人のプロフィール・エピソード等のメモリアルデータは、SNSのようなオンライン空間に遺し、地球上のどこからでもアクセスできるようにすれば良いのです。

 日本仏教に携わる人々にとって、これから、大受難の日々の到来が予想されます。
 しかし、今仏教者がやるべきことは、釈尊が直々に説いた「釈尊仏教」の教えに戻ることです。
 そして、釈尊の周りに出家修行者や在家信者が多数寄り集まったように、自発的な入信者が自由に参集できる、宗派に捉われない、開かれた組織を構築することです。

 求道を目指す出家修行者に対しては、周囲の雑音に邪魔されずに一心不乱に修行に専心できる専門道場の設立運営が、救済を目指す在家信者に対しては、釈尊が説いた直々の教えを再布教し実践活動をサポートする指導者を伴った、オンライン或いはオフラインの施設の設立運営こそが、今、仏教界に求められていることではないかと思います。

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