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第53回 復元ポイント「紀元前485年」の仏教⑤ 出家と在家

 本シリーズ第31回で、「釈尊は、二つの道しか説かなかった!」という記事を書きました。出家修行者向けと在家信者向けに、異なる二つの教えを説いていたという記事です。

 双方に共通する教えというのもありますが、最古の仏教経典「スッタニパータ」には、出家修行者に向けて説かれている教えと、在家信者に向けて説かれている教えとが、明確な区分なしに雑然と混在しています。

 「スッタニパータ」という名称自体が、日本語に訳すと「散在する経文を集めたもの=経集」という意味ですから、一本筋の通った理路整然とした文章でなく、雑然としている印象なのは仕方ありません。

 しかし、「スッタニパータは、何を言おうとしているのか、何を説こうとしているのか、よく分からない。」と言われ、釈尊の直説を伝えるものでありながら、仏教経典として研究されることが少ないのは残念です。

 「スッタニパータ」をよく読むと、釈尊は、出家修行者向けには、後に「小乗仏教」として発展することになる教えを、又、在家信者向けには、後に「大乗仏教」として発展することになる教えを説いていたことが明瞭に分かります。

 小乗仏教と大乗仏教は、数百年の時を隔てて独立に成立したのではなく、釈尊の生前の説法の中に、それぞれの萌芽がみられるのです。

 小乗仏教の萌芽となった教えは、釈尊と同様に「悟り」の境地の獲得を目指し、輪廻の流れから離脱(解脱)し「仏陀」となることを究極の目標とする、「成仏指向型の仏教」だと位置づけることができます。

 従って、弟子達には、「悟り」への妨げとなる親・兄弟・妻子・友人・知人達との関係・絆を全て断ち、家を出て「出家修行生活」することを求め、出家修行者の集まりであるサンガ(僧伽)には厳しい規律を課し、釈尊自らが実践・成就した仏道修行を踏襲することを求めました。

 一方、大乗仏教の萌芽となった教えは、出家修行生活には入れない大多数の一般生活者に対して説かれた仏教で、一言で言えば、苦しみの多い現実世界から死という手段で解放された後に、西方極楽世界等の浄土世界や天界等のより良い来世へ生まれ変わること(輪廻転生)を希求する、「救済指向型の仏教」だと位置づけることができます。

 この「救済指向型の仏教」を象徴するのが、「自業自得」の教えであり、「善因楽果 悪因苦果」の教えであり、自ら作った原因(=業)が時間・空間を超越して結果する、「縁起」の教えなのです。

 2500年に及ぶ仏教の長い歴史の中でも、本来の意味での出家修行者は、小乗仏教が主流の国であっても、ごくわずかな数しかいない(いなかった)と思います。
 そして、釈尊の生存中に「仏陀」の境地にまで達した出家修行者は、シャーリプトゥラ(舎利子)唯一人です。(スッタニパータの記述より)

 「仏陀に成る(=成仏)」ということは、それほど困難で稀有(けう)な出来事なのです。

 過去でも現在でも、仏教を信奉している人のほとんど全ては、自分では自覚していないかもしれませんが、実質的には在家信者と見て間違いありません。

 最初から大乗仏教が伝わった日本では、僧職にある人は灌頂儀式等を経て一応は出家者という位置づけになっていますが、実態は、在家信者のリーダー的存在なのではないかという気がします。

 釈尊が在家信者に向けて説いた教えには色々ありますが、集大成として一つ挙げるならば、一般に「七仏通戒偈」(しちぶつつうかいげ)として知られている教えがそれに該当するのではないかと思います。

 「七仏通戒偈」とは、釈尊以前に出現した過去六仏と釈尊を合わせた七人の仏陀が共通して説いた教えのことで、パーリ語の原文と日本語訳は次の通りです。(ウィキペディアから引用)

☆Sabbapāpassa akaraṇaṃ(サッバパーパッサ アカラナン)
  「一切の罪を犯さぬこと」
☆kusalassa upasampadā(クサラッサ ウパサンパダー)
  「善を具足すること」
☆sacittapariyodapanaṃ(サチッタパリヨーダパナン)
  「自らの心を清めること」
☆etaṃ buddhāna sāsanaṃ(エータン ブッダーナ サーサナン)
  「これが諸仏の教えである」

 現代日本語で分かりやすく書くと、『悪いことをするな。善いことをしなさい。自分の心を清めなさい。これが諸仏の共通の教えです。』となります。

 実に簡単で分かりやすい教えです。しかし、日常生活の中で忠実に実行するとなると、とてつもなく難しいのです。

 全ての宗教の教義を知っている訳ではありませんが、少なくとも「天国(極楽)と地獄」に関する教えは、各宗教に共通する教えなのではないかと思います。

 釈尊も「地獄」に関する真相・真実については、「スッタニパータ」で詳細に語っています。

 もし、世界中の人が、仏教やキリスト教等で教える「地獄」を本当に実在するものとして理解していたら、又、「七仏通戒偈」を日常の生活の中で実践していたら、全ての戦争や紛争・争い事はなくなり、平和で穏やかな世の中になっているのではないかと思います。

 死ねば全てが無に帰し一巻の終わり、となる訳ではないのですから。

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