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【短歌エッセイ】無我夢中の日々に足を止めて


 遠い昔に就いていた職種にブランクを経て戻り、働いて3ヶ月が過ぎた。
 確かに未経験ではない。実際に業務に従事する中で、そうそう、こんなだったな、と思うことは多い。
 それでも、ずっと続けていた人にとっては自然にできることが、まだぎこちなく、全力で、時にあたふたしながら、何とかやっているというのが実情だ。
 職場の居心地は悪くない。少なくとも遠い昔、同業種の前職において、長期に渡ってハラスメントを受けた(そしてそれが容認されていた)ような環境はここにはない。
 私に相当なブランクがあることを承知の上で雇われているということも部署の先輩らには了解されていて、過度に責任とストレスを負わなくていいよう配慮されていると感じる。
 気がつけばあっという間に過ぎた3ヶ月。いつの間にか試用期間は終わり、3月末が期限という有期雇用も当然であるかのように更新され、働き続けている新年度だ。
 妊娠により体調が不安定な若い先輩のサポートで、私と同じ担当場所である部署長が抜けるため、ここ2週間、火曜日と木曜日の午前の業務は私が主導する立場だ。それはおそらくこれからも続くのではないかと思われる。
 責任を感じざるを得ない日々である。力不足を感じて悲しくなることもある。それでも、一朝一夕には不足を埋められないからこそ、とにかく経験を積んで、この職に自分を慣らして行くしかないと思っている。
 余裕なく無我夢中で勤めて来た日々。
 今ちょっと足を止めて、振り返る思いを短歌と共に綴ってみる。


遠い日の 学びは時代 遅れだと     
      知らされ急ぎ アップデートを

 ブランクがあるということは、私が離れていた期間に起った様々な変化について私が知らない、ということでもある。あの頃はこうだったが今はこうである、ということを色々知って行かなければならない。
 まるで、過去からタイムスリップして来たかのようでもある。
 当時、社会的な資源が整備されていない故に、もっとこうだったらいいのに、という理想のかなり手前で、妥協的なことをせざるを得なかった事柄もあった。
 法律が変わり社会的な資源が整備され、充分とは言えないまでも、現在ではかなり当時の理想に近づいていると知る時、時代の流れを感じると共に希望を感じられて嬉しくなる。
 また、実習生だった時代にやらかした失敗について、指導者に酷く叱責されて随分凹み、評価もD評価(赤点)でトラウマ的な心の傷になっている、という話をする機会があった。
 ところが先輩らは皆口を揃えて、「それは指導者が悪いよ……!」と言ったのだ。
 私が離れていた期間に、同じような状況で酷く重く受け止め過ぎてしまった実習生のことが問題になり、そもそも実習生にそんな重い責任を負わせることが間違っている、というように現場の流れは変わったのだそうだ。
 戻って来なければ知らないままだった話で、知ることができて、何だか当時の自分が慰められたように思えた。
 しかし、情報の更新はいい思いばかりとは限らない。
 先の指導者とは別の実習指導者の話になるが、当時こんなふうに教えられた、という話をした所、部署長から全面的に否定されたのだ。それは少なからずショックではあった。
 それでも、当時是とされたものが、時代の変化と共にそうでなくなることはあるものだ。部署長は、自身が是とする考えもまた時代遅れになりつつある、と話した。
 私達は日々時代に合わせて柔軟に考えを更新しながら、同時にこの職として接する相手にとって、是とされる在り方を模索して行かなければならないのだ、と思わせられたのだった。


「懸命に 生きてるように 見える」との 
      言葉に胸を 射抜かれている

 ありがたいことに、この職として接する対象者から、私に対するネガティブな評価は耳にしていない。言葉にしていないだけで、わざわざ言う程でもないと思う程度に留まっているのかもしれないが。
 自己紹介において、私が長いブランクの末に復帰したという話を省くわけにはいかない。
 そう若くもないにもかかわらず新人のような立ち振る舞いに疑問や頼りなさを感じさせてしまうとしたら、その理由を提示しておくことで納得も得られると思われるからだ。
 ある人からは、「とても苦労されて来たんですね」と言われた。そこまで察せられる程のことを話したわけでもないのに、わずかな言葉からそう感じられるものがあったのだろうか、と考えさせられる。
 また、4月初旬新入者に行われる研修に2月入職時に受けなかった私も参加するため、1週間程通常業務から離れた際には、ある人から、「もうすっかり馴染んでたんで今更研修?って思っちゃった」と言われた。
 それに対してある先輩は、「本来は研修が先ですけど、〇〇さんには即戦力として活躍してもらったからですね」と言ってくれた。
 中途採用の場合はこういうこともあるだろう。とは言え、もはや不慣れな者と思われない程度には仕事ができていると言われたようで、何だか嬉しい気持ちになった。
 またある人からは、「もの凄く一生懸命に生きているように見えます」と言われた。嫌味のない心からのものと感じられる言葉に、私は射抜かれた。
 少し考えて私は、「まだ余裕がなくて緊張しているから、というのもあるかもしれません」と答えた。バタバタと無駄な動きがあれば、一生懸命に見えなくもない。
 それでも、「そういうんじゃなくて、本当に一生懸命に見えるんです」と再度言われ、私は礼を述べた。
 この職に従事する者として、接する対象者のために働く行為は当然のものではあるが、それでもそんな私達自身も、時に対象者から力をもらっている、と思わされるのだ。


無我夢中 にて働いた 緊張を      
           放つ週末 二人晩酌

 私は特に酒が好きというわけでもなく、基本的に「飲み会」と称される酒宴の席でもなければ飲まない生活を送って来た。
 そのような席においても、苦いものが苦手なのでビールは飲まず、ジュースの延長的に飲めるチューハイやカクテルをグラスに2杯くらい、というのがほとんどだ。
 ちなみにパートナーは酒好きな人なので、週1回は1人で飲む生活だ。
 それが、今の仕事を始めてからのここ3ヶ月は、私もパートナーに付き合って一緒に週1晩酌を行っている。
 無我夢中で働く緊張を、飲むことでリセットしたいという思いがあるからだ。
 今まで1人で飲んでいたパートナーはとても嬉しそうに、「こうやって一緒に飲むのが夢だったんだ」と言いながら、つまみの用意などをする。
 本当に仕事に慣れて、余裕を持って働くようになったら、もう晩酌は不必要になるかもしれないし、その時は今のように一緒に飲む時間を持つこともなくなるかもしれない、とパートナーには言ってある。
 それでも今は、取りあえずそんなストレス解消を図りながら、とにかく一日一日をこなす日々を歩んで行きたいと思っている。
 「1週間お疲れさま」と言って支えてくれるパートナーに感謝を捧げながら、私はチューハイ、パートナーはビールを注いだグラスを合わせて、週末の夜を過ごしている。



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