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古典読書時代スタート(読書論エッセイ・読書雑記)

読書の秋が来ました。さきほど、都内の自然公園を歩いていたのですが、暖かく、絶好の散策日和でした。紅葉が綺麗になるのが楽しみです。

今回も、最近の読書生活について即興でコメントしながら、日々変化する、自分の読書観を綴ってみたいと思います。
実は、ここ最近、古典の魅力に目覚めています。今までは、千夜千冊の案内で満足していたのだけれど、古典にまつわるそれらの案内を参考に、自分で読んで、血肉化したいと思うようになったのです。古典読書時代をスタートさせました。
古典に目覚めたのは図書館で出会った2冊の本がきっかけです。まず、この一冊。


この一冊の本には、読むに値する必要不可欠な古典が一通り網羅されており、濃縮された解説は好奇心を触発します。まさに、知性を強化するための、最高の教養的古典がマッピングされており、そのクオリティもさることながら、古典読書のスタート地点に立つのにもってこいです。ちなみに、著者は相当な読書家、猛者でしょう。

次は、この本。反知性主義に対する抵抗を示す、人間知性を復活させる宣言的な一冊です。著者が血肉化した、若い読者にすすめる古典との思い出や出会いが綴られており、教養や知性を高める上で、古典との出会いが期待できます。
反知性主義については、著者と同じ立場です。われわれは教養や知性を高めようとする渇望に忠実でなければなりません。教養に対して拒絶する言説を断固認めてはなりません。教養は人間精神の必須栄養素です。その教養や知性を育てるのに、古典が大きな役割を果たします。

3冊目は、この本です。

自分のなかにある偏見の目。それをなくすのは、決して簡単なことではないですが、精神的鍛錬が必要だと哲学者のマルクス・ガブリエルは言いました。本書を読むことで、人間という概念を創り、負の歴史を背負っていくことになったプロセスを鳥瞰できます。歴史レベルでそれができたら、次は個人レベルです。本書はその橋渡しにもなります。

4冊目はこの本です。気鋭の科学史家が、科学が形成されるプロセスを簡潔に、濃縮して案内しています。ギリシャの奇跡で誕生した古典的(ギリシャ的)思考。ルネサンス期と啓蒙時代の2つの大きな科学革命がそれらをアップグレードし、近現代科学の基礎を用意しました。非常に読みやすく、飽きさせない一冊です。

5冊目は、これ。

万能の巨人ライプニッツに入門するのに、最適な力作の一冊です。ライプニッツについては千夜千冊を読んで以来興味がありましたが、この本でその人間的・思想的側面の理解を深める入口になるとともに、全体的見取り図を刷り込めます。

この5冊で本の紹介を終えます。まだ感銘した本はありますが、それは次に譲ります。

かつて、哲学者のフランシス・ベーコンは「知識は力なり」という名言を残しました。
私はこれを、「教養は力なり」と言い換えます。
教養は深めることで、大きな力になります。
しかしこの力は、抵抗する力でもあります。強者の理不尽な抑圧や地球環境の危機の理不尽な側面を、知性による抵抗で変革し、未来を切り開く力です。若者は、相対的弱者であると2冊目に紹介した本の著者である徐京植さんは述べます。読書をして、知性を高め、教養を身につけることは、弱さを補強し、謙虚さを高めることにつながるのだと思います。
そう、読書をすると謙虚さを磨けます。冊数を誇る人がいても、その冊数は氾濫する知的情報や知的遺産のほんの米粒に過ぎないのです。
万巻の書籍群という、組織化され、系統化された知的集積。それらにアクセスすることでわれわれは人間社会を前進させる強力なリソース、ツール、ヒントを得ます。と同時に、これだけのものを生み出した創造的知性と人類の文化的水準の高さに圧倒され、謙虚さが芽生えるのです。この謙虚さをバネに21世紀、そして、それ以後の知性がまた新たな古典を生み出していくでしょう。力は謙虚さだと思います。
ライプニッツを読むと、天才ライプニッツが自分の頭の中に引っ越してきます。そして、数々の同居人と、その友だちである自分を助けてくれたり、一緒に考えてくれます。これが読書を続けると可能になるのだと説明していた本がありました。ライプニッツが友だちになったら、確かに自然に謙虚になる感覚がわかります(私の頭にはまだライプニッツが定住していないかもしれないですが)。

ご清聴ありがとうございました。



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