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ブランドストーリーに「ナラティブ」視点を

ブランドにはストーリーが必要だという話をよくしていますが、このストーリーでも語り口を変えるだけで、物語の世界感への入り方が変わってくるという考え方です。
それは、ストーリーテリングからナラティブテリングへの移行です。

こばゆうさんの記事でも触れられていましたので共有します。



ブランドストーリーの共創

シェアリングエコノミーは、とうとう企業のブランド発信のストーリーテリングまでも、第三者を巻き込み共有するんだな。という感じですね。ここもかと。ちなみにこのナラティブ思考はマーケティングのみならず、一部医療やゲーム業界の現場においても導入されている考え方みたいです。

この「ナラティブ」とはなんぞやということで
興味のある方はこちらもご覧になってみてください。

以下はナラティブをCMに落とし込んだ案らしいです。SUBARUですね。


思うに、ナラティブ(narrative)意味は「物語」です。ストーリーも言ってみれば直訳すれば物語です。日本人からしたらこの2つのニュアンスはほぼないに等しいと思うのですが、ナラティブ思考をブランディングで落とし込む場合、この2つには明確な考え方の違いがあるということらしいです。
面白いですね。

例えば、上のsubaruのCMを見て疑問に思うのですが、語り口を「企業」にしない意図は理解できるのですが、広告の主体性?というのか発信側の一方通行的な広告色を消しすぎる場合、つまり商品やブランドの特徴を言わなすぎる場合、そもそも広告は企業の認知度向上しか狙えなくなるのかなと。だからなんですかね。最近の街頭広告って、商品と企業ロゴしかないシンプルな構成が多い。
例えばこのCMを見て思うのは、この内容であれば「車」はSUBARUでなくてもハマるな。とも思うわけですが、どうなんでしょうね。

ナラティブはブランドストーリーは面白い考えだと思うのですが、広告でどこまで機能するのだろうか、というのが私の今の見解です。

ナラティブ型にするかどうか限らず、広告というのは瞬時に情報が伝わらないもの、何が言いたいのかわからないものをアートみたいに凝縮しませんよね。みなさん情報過多でいちいち構ってられないわけです。でも、かと言って広告の特徴を言いすぎるのもうっとおしい。そのあたりの情報量はバランスなんじゃないかなって。ナラティブ型にするかどうかは別にしても、マス広告も昔ほどみられませんし、視聴の邪魔にしかならないインストリーム広告なんてものはスキップの対象にしかほぼなっていないというのが現状だと思います。どうせナラティブをやるなら、ブランドストーリーなどに止めておくのも良いのかもしれません。

いずれにしても、全ての人がブランドの物語を共有して、「自分ごと」として感じられるには、語り口を「わたし」から「わたしたち」へ変える。あるいはいずれも一人称ですが、この主語でさえ物語の世界観に入る障害になるなら消してしまおうというのがブランドストーリーテリングのナラティブということなんだと思います。

これは、みなさんが作るブランドの肝になるブランドステートメントにも応用できる考え方なので取り入れてみるのも面白いと思います。

自社wantと顧客(上顧客)needsをいずれも同等レベルで大切だとわたしは考えますが、この見方においても、今後のブランドマーケティングには確かにこの物語の世界のシェアリングは時代に合っていると思います。

一昨日、note運営が発信した記事紹介をしました。
今書きながら思いついたのですが、noteが行う企業協賛のコンテストも、結局のところこのまさに「ナラティブ」をnoteのクリエーターの方々にやらせたいのかな。なんて思いました。つながった?
根底にあるのは、とおまわしの企業側の認知度向上の施策なのでしょう。




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