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広告デザインを考える ⑥ [アート的デザインの可能性]

引き続きの広告デザインテーマですが、「アート性と抽象性」というものについて語っていきます。
「デザインはアートじゃない。だからわかりやすさが一番だ。」仮にこのような考えがあるとしたら、このクリシェを破壊します。
人を引き込む広告には、ある程度の抽象性」と「美」を秘めてます。という話をしていきます。

アートとデザインの違いは「問題」に対するアプローチの仕方にあると以下の記事で語りました。

デザインは伝える必要のある情報があり、「問題」を自ら見つけ出して、作品を媒体にして世の中に「問題提議」するのが現代アートの役割だと思います。一方で、他者の「問題」に対してデザインを媒体にしてその「解答」を導き出すのがデザインです。

上記は前回記事内で語ったことの引用です。
では広告デザインは情報だけわかりやすくなっていれば、それでいいのでしょうか?

情報の伝わり方には必ず受信者の「主観」というフィルターが入り記憶されます。この受け手の主観に置いて、伝えられた情報が「美しかったり」「高価そうだったり」逆に「お手軽そうだったり」「優しそうだったり」受け手の中で印象というフィルターで処理されます。このように情報にはただ定量的なものだけでない、感覚的で情緒を喚起する定性的側面があります。
ちなみにブランディングデザインを考えることに置いては、この部分がコアなポイントになってきますが脇道にそれるのでこれは語りません。

現代アートとの役割は問題提起をすることだと言いました。
何かの造形表現を通じて

「これは何だろう?」

と考えさせるものです。
それは人それぞれに受け取り方でいかようにもなるある程度の抽象性を秘めてます。誰がどの角度から見ても何かとわかるものの情報に私たちの脳は「芸術」を感じません。絶対的な自己完結的な問いはアートの役割に置いては無意味だとさえ思います。ここでいう造形表現の中にある「ある程度の抽象性」というのが、広告デザインに置いてもうまく機能するんです。

このテーマにおいて、広告もアートも共通するものがあります。それは以下のものです。



作品に、人を引き込ませる力があるかどうか



では、人を引き込ませるものに何があるか。
それは見る人の興味や趣向で変わりもしますが、一つだけ普遍的なことがあります。それは以下のものです。



作品に、ある程度の抽象性があるかどうか



つまり、これはこうも言い換えられます。



作品に、「これ、何を表現しているのだろう?」と思わせる何かがあるかです。


もちろん、わからなすぎるもの、抽象的すぎるものに一般的に人は興味を持続させることができません。ただ、広告情報の中の抽象性というのは、誰が見ても同じように感じられない、同じように解釈できない何かを帯びる必要があります。



さらにこの抽象性に付け加えて「美しさ」があるかどうかも、人のアテンションを得るためには重要です。



伝えたい情報に「美しさ」と「引き込ませる力、あるいは抽象性」を込めるということが、広告デザインに置いてのデザイナーの挑戦すべき方向だと思います。

言いたいことだけ、ただ伝えられればいいと割り切る広告場合は、媒体や掲載場所に応じたそれ相応のデザインをすれば、さほど難しくはありません。そこに美的要素と抽象性を込めることで、人を広告の世界に引き込み、考えさせ、注意を引かせるトリガーになる。これが広告デザインの目標だと思います。これは媒体を超えた広告全体の共通したテーマです。


街を歩いていても、美しいものが見たくないですか?
誰でもそうだと思います。
「美しい広告」が街中に溢れかえっている世界を作る。
興味を引かせるだけで良いなら、そこに「美」は別に必要ないです。


広告デザイナーはこの「美」への挑戦をする義務があると思います。
売れればいい、目立てばいい、機能すればなんでもいいという商業的に偏りすぎる視点は世界をよくしないというか。うまく説明できないのですが。




最後に私の個人的な意見ですが、
「文化レベルは広告に現れる」と思ってます。

世界を見てみるとわかります。ニューヨーク、ベルリン、ロンドン、アムステルダム、ローマ、広告デザインのアート性のレベルが高い街は多いです。
では、今の東京を中心とした日本はどうでしょうか?

次回はこのデザインの「美しさ」ということを綴ります。





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