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死に損なった家族について

注意喚起
この記事には「自死」の記述があります。フラッシュバックや心がつらくなるかもしれないとお思う方は、読むのを控えていただけますと幸いです。そして、すごく不謹慎です。不謹慎に怒りを覚える方にもおすすめしません。ですが非当事者として書いたものではなく、一応私は自死遺族のようなものです。ただ、自死遺族にカテゴライズはしてもらえない身です。遺族の方にとっても、傷つく恐れを含む記事です。閲覧注意。
ただし、これは私の骨であり、血肉です。


 姉が、死に損なった。
 私は、「ちゃんと死ねたら良かったのにね」と思った。

 「死に損なう」なんて、家族である私が使う表現としてあまりにも薄情に映るんだろうか。死にたくて死にたくてしょうがなかった世界に、姉は無理やり連れ戻されて、重い障害を背負い自我をなくし、もう自分で死ぬことも叶わなくなってしまった。

 自死について、なんで世の中では悪いことみたいな共通認識になっているのか、理解できなくなった。姉が死に損なうまでは、ちゃんとみんなと同じように、自殺は悪いこととか、してはいけないことだと、思えていたようなも気もする。

 「自殺」は、まず字面が悪い。「殺」はいかにもワルそうだ。だからここではあえて「自死」と書くことにする。そもそも「死」は悪いことなのだろうか。これには社会の共通認識も声を揃えて「NO」と言いそうだ。大往生って言葉もあるし、死は生の一部のような概念もあるし、寿命を迎えての死については皆涙とともに「送り出す」という前向きな言葉を使う。「死」そのものが悪いわけではないのであれば、「良い死」と「悪い死」を分かつには、何が要因として死に付随してくるのだろうか。

 「良い死」の代名詞は「大往生」だろう。寿命、苦しまずに、ポックリと、とかそういうのが「良いことさ」を醸しているのかな。眠っているみたいとか言うし、死体がグロテスクになっていないのも、もしかしたらポイントなのかもしれない。寿命死が、全身から血が吹き出し眼球が飛び出すようなものだったら、もう少し「良い死」感は薄れていそうだ。可哀想な要素が少ないほど、良いとされているのかもしれない。

 反対に、「悪い死」は「他殺」「自死」「病死」「不慮の事故」「災害や戦争の犠牲」などだろうか。こんな死は、本人も望まず、痛ましく、生きたかった未来が失われて可哀想で、あってはならないことだ。
 でもこのなかに、ひとつ、「本人が望んでいて、生きたかった未来は失われていない死」が隠れているのにお気づきだろうか。そう、「自死」だ。「悪い死」郡の中で、これだけは強烈に異彩を放っているだと思うのだが、そうじゃないのかな。私はおかしいんだろうか。

 本人が死にたいなら、それが「不慮」にカウントされてしまうような衝動的な一時的な感情じゃないのであれば、死んだっていいじゃないか。
 死ぬことに、自由は許されないんだろうか。多様性の中から、死にたい人は除外されている。死にたいくらい苦しかったのに、やっと死ねたのに、死んでなお「悪いこと」をしたみたいな扱いなのは何故なんだろう。

 なぜ外野が勝手に「簡単に死のうとしちゃだめだよ」「逃げるのはずるい」とかジャッジするんだろう。
 なぜ「相談してくれればよかったのに」とか言うんだろう。てめえの励ましで死なないで済むならとっくに死んでないだろ。
 なぜ人の死を、あなたや誰かが防ぐことができると思ってるんだろう。そんなのは思い上がりだし、烏滸がましい。
 なぜ無責任とか言うんだろう。手前の命の落とし前を自分でつけることが、どうして責任ある行動と見做してもらえないんだろう。
 なぜ乗り越えられるはずだったとか言うんだろう。乗り越えられる苦しみは沢山乗り越えてきた末の、もうどうしようもないものだったと慮っては、くれないのだろうか。

 異論の声として大きいのはきっと、「残されたもの」の悲しみや苦しみだ。私だって、ほぼ自死遺族のようなものだが、私の苦しみが、姉の苦しみより優先されるなんて、ちゃんちゃらおかしな話だと思う。
 姉の生だ。姉の命だ。姉の気持ちと意思以上に、尊重されるべきものなんてあるのだろうか。もちろん、親を悲しませた姉に対して、私は怒りを超えた憎しみに似た気持ちも持っている。でも、親の悲しみも、私の怒りも、姉の意思以上の尊重を受けるには、値しないものだとおもっている。姉の命は、他者の心情や事情にばかり委ねずに、姉が決めていい。私はそう思う。

 でも姉は死に損なった。姉は二回も、心臓を止めたのに。心臓を止めたこともなければ、そんな勇気ももたない私からしたら、この二回は姉の強さにすら感じる。動くことをやめた心臓は、一度目は除細動に、二度目は人工心肺にかけられた。こうして姉の意識や自我といった、姉を姉たらしめるものだけが死んだ。身体は生き延びて、痛みと病い、そして不自由だけが命の形を模してそこに残った。ついでに、永久に続く介護もおまけしとくよ、と家族の肩にのしかかった。子育てはせいぜい18年。下の世話が要るのは長くても4-5年だ。死に損ないの子どもの介護は、親の寿命がつきるまで続くし、両親の死後も続く。そこには希望も輝かしい未来も、苦労を相殺するような笑顔もない。

 お葬式をしている人が羨ましかった。死を悼むことができる人が羨ましかった。悲しめる人が羨ましかった。姉を姉たらしめるものは死んだし、やはり私の目に映る肉体は姉のものとは思えなかった。でも私は「自死遺族」にはカテゴライズしてもらえない。誰かに、姉の死を嘆くこともできない。どこにも所属できない。
 私にとっての姉は死んだ。なのに、そこに「死」は存在しなかった。「悼み」も「見送り」もなくて、姉を失った私の感情はぽっかりと宙に浮いたままだ。
 身体の奥底がシンと冷えて、とんでもない忘れ物をしてしまったような焦りのような感覚に襲われる。誤って人の頭上にバールのようなものを振り下ろしてしまったような、会社に数億の損失を出すような不祥事を起こしたことに気づいた時みたいな(どちらとも経験はないが)、青ざめるような、血の気が引くような、心臓がヒュッと落下するような、皮膚の内側がぞわりとする感覚を、ずっと持っていた。

 自殺のニュースを目にすると、この人はちゃんと死ねて良かったねと思う。この人の死ぬ努力と、姉の死ぬ努力と、何が違ったんだろう。どうして姉だけが死に損なってしまったんだろう。こんなことを思う自分がクソみたいなのは、自分で一番よくわかっていた。死んでしまったひとのことをこんなふうに外野が勝手に羨ましがっちゃいけないのに。それに、姉のことをこんなふうに思う妹なんて親不孝だ。クソだ。悪いやつだ。私なんか、お前なんか、姉じゃなくて、お前が死んじゃえ。そう自分に思っていた。ほとんど自分を呪っていた。姉の心臓を無理やり動かした救命措置を憎んだ。医療者の方々は、必死に、心と身体を削りながらなんとか命を守ってくれたのに。私はそれを憎んだ。私がクソ人間なのは、もう耳にタコができるほど、わかりきっている。うるさい、うるさい、うるさい。私の考えがあまりにも馬鹿げているなら、誰か私の脳みそから言語とか思考を司る領域をぐちゃぐちゃに破壊して使い物にならなくしてくれ。

 さらに、姉が死にたくて死にたくてしょうがなかった世界に、命をひとつ産み落とそうとしている自分が恐ろしかった。(当時私は妊娠していた)でも私は子に会いたかった。私は出産を、あくまで自分のエゴとして扱うように心がけている。「子どもが生まれた」という表現を使わずに「子どもを生んだ」と言うようにしているのも、このような背景もあるのかもしれない。我が子は、自分の意思ではなく、私によって「産まれさせられた」のだ。受動態の生命。be born。死ぬ、はdieで能動態。その通りじゃないか。

 抜け殻の肉体に、もしも姉が戻ってきたら。そんな想像を何度かした。「殺して」と頼まれたら、私は殺すだろうと思っていた。だって身体は動かないし、脳だって障がいを残して、もう自分ではどんなに望んでも死ぬことが出来ないから。姉に頼まれたら、親が殺してあげてしまうかもしれないとも思った。自分の子どもの死(のようなもの)で苦しんだ親が、さらに子どもを殺してあげてしまうなんて、あまりにも可哀想だ。私たちの親たちは、そんな目に合うような人たちじゃない。本当はもっともっと幸福な人生を享受するにふさわしい素晴らしい両親なのだ。ならば、私が殺す。そのほうがマシに思えたし、姉の死にたさだって尊重される。

 でも。

 でも私は、子どもを生んでから、姉を殺せなくなってしまった。もう頼まれても、殺せない。我が子のために。我が子には、姉や私の苦しみとは遠いところで、こんなことは一生知らないで、全くの他人として何も薄暗いことのない人生を歩んで欲しい。
 私は姉の意思の尊重より、自分の子どもを選ぶのだ。どこまでも、どこまでも、私は薄情な妹なのだった。

 鏡を見ると、私が映る。毎朝の光景だ。毎朝鏡を見ては驚き、たちまち自分を呪う。鏡に映る自分の顔は、姉の顔とそっくりだ。どうして、姉と同じ顔をして、私は生きているの?どうして、姉は、死んでないの?それとも、死んだの?なんで私は、姉に会いたいとか、さみしいとか思わないの?どうして、私は怒っているの?どうして、姉の命が繋がれたことを、喜べないの?どうして、どうして。

 他者のどんな言葉も、どんな態度も、傲慢で無力で、私は苛ついていた。本を読むことが好きで、たくさんの言葉に触れてきたはずなのに、あれから一年以上、言葉を1ミリも信用しなくなった。何を読んでも苛ついた。

 友人の自死を扱っていたノンフィクションの本(書名は伏せます...)はスタバで読んであまりにも苛ついて、投げつけるようにゴミ箱に捨てた。あんなふうに本を粗末に扱ったことは後にも先にもあの一度だけだ。「親にあんな顔をさせてはいけないと、死んでしまった君の選択を責めた」だの「あなたが死んでしまう前に伝えたかった言葉、それは、ひとつのものさしで自分を測らないで。」だの。くそむかつく、くそむつく。なんだその自分の言葉がまるで、他者の死を止める力を持っているような口ぶりは。死んだ人間に向かって、ルックスの良い言葉を名言風に吐きつけるのはさぞ気持ちよいんでしょうね。

 どんな書物も、誰の言葉も、私を苛つかせることしかできないんだと思った。同様に、私の言葉も傲慢で無力で、他者を苛つかせることしかできないんだろうと思うと、もう口を開くことができなかった。口を噤むことしかできず、何かを書くなんてもってのほかだった。耳を塞ぎ口を噤むと、人生から言葉を排除できた。静かになった。その静寂は、死に似ていた。死んでいる人は、何も食べず何も排泄しない。

 何も信じていなかった日々に、ひとつの区切りがついたのは、西加奈子さんの「i」を読んだ時だった。小説に救われるなんて、まっぴらごめんだった。何かに救われたくなんかなかった。


 主人公は内戦の続くシリア生まれのアイ。アメリカ人の父と日本人の母の養子として引き取られて日本で何不自由なく、愛情深く育てられる。養子になっていなければ、アイの人生は過酷なものになっていたであろう。アイはずっと自分の幸福を不当なものだと思っていた。「生き残ってしまった」「その死はなぜ私に訪れなかったのか」と罪悪感を抱え、世界で起こる災害や事故や戦争、その死者数をノートに記していた。あるとき、彼女の祖国に関することで「デモ」に参加する。そんな中で、カメラマンのパートナーができて、彼は彼の活動として、内戦の様子やデモに参加する人の写真を撮っていた。「当事者でもないのに、シリアのことを写真に撮ったりするのは烏滸がましい思い上がりではないか」みたいなことを二人で考えていた。その点、主人公はシリアの出自だから、彼女にはその資格があるのか?でも、主人公からしたら、真摯に向き合う彼のほうがよっぽどその資格があるように思えていた。

 そのときの、カメラマンの彼の一言。私はその言葉に、いのちを、救われた。
彼は夜通し考えた。渦中にいないものは、渦中の苦しみを、苦しんではいけないのか。

「難しくて、苦しくて、途中でわけが分からなくなって、頭が割れそうになったりして。でも、今こうやって夜が明けて、辿り着いた答えはすごくシンプルだった。」

「シンプル?」

「そう、シンプルで、でもやっぱり難しかった。とても。」

「何?」

「愛があるかどうかだよ。」

 頭を、心臓を、撃ち抜かれたような気持ちになった。

「愛があるかどうかだよ」

 じゃあ、じゃあさ。
 いいの?
 死んでない私が、死に損なった姉を、死ねたら良かったのにねって、思ってもいいの?そこに、愛が、あるの?ああ、そうか、私は姉を愛しているんだ。涙がとまらなかった。

 泣きながら本を閉じて、自転車に乗りながら泣いて、プールに向かった。突然のプール、ではない。なぜなら私は妊婦で、妊婦には水中ウォーキングが推奨されていたから、毎日プールに行っていた。週6の日課そのままに、私は泣きながらプールに飛び込んだ。

 プールに潜ると、水の中は青くて、キラキラしていて、吐いた息が、ぶくぶくとあぶくになって頭上へ、水面へと登っていく。私が生きている証が、空に飛んでいく。胎内ってこんな感じなのかな、と思った。
 小説「i」のように私も産まれ直そうと思った。私は水中で、胎児のように、体育座りのようなポーズで丸まってみた。天井はほとんどガラス張りの屋内プール。降りそそぐ陽光は、水面を突き刺し、水中に斜線を描く。私は臍の緒に繋がれ、青い羊水の中を揺蕩う。涙が止まらなかった。私は姉を愛しているんだ。強く、そう思った。姉に対する私のあらゆる感情の、あらゆる非道徳の、理由がわかった瞬間だった。こんな、こんな救済があるのかと、涙が止まらなかった。私は、姉を愛している。

 私の隣には、死にたい命が在った。私のお腹の中には、生みたい命が在った。死にたさも生きたさも、私はどちらも肯定したい。
 愛に基づいて。




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