「ねぇ、優しさってなんだと思う?」
「#やさしさに救われて」
このお題を見た瞬間に、頭の中に流れたフレーズがタイトルの言葉です。
BUMP OF CHICKENの「ひとりごと」という曲のはじまりのフレーズが、「ねぇ、優しさってなんだと思う」なんです。最近BUMPのことめっちゃ書いてるよね~。
歌詞全文載せたいのが本音ですが、著作権のこともあるので、抜粋しながら紹介していきます。最初から最後まで大事な言葉が詰まっていて、人間の根っこにある感情がひしひしと伝わってくる。道徳の教科書に載っていいくらいだよ、藤くんの言葉はそれくらい「やさしい」。
語彙力がないなりに要約するのであれば、「優しさは、君のためでも僕のためでもない。無理やり作るものでもない。気づいたら、二人の間にできていた。」ということだろう。
「君」に対する「僕」の視点から、葛藤する気持ちを語りかけるように歌っていたのに、最終的に「僕ら」という複数系になり、「僕らで作ったよ/二人で出会ったよ」に至るのやばくないですか??でも、曲のタイトルはあくまで「ひとりごと」なんですよ。
「君」のための優しさは、「僕」のエゴなんじゃないか?っていう気持ちの表れが、ほんとにさ~。私は完全に「僕」のひとりごとに共感できるから、この歌詞も曲も刺さりまくってるけど、おそらく刺さらない人も世の中にはいるだろうなと思うのよ。「言われなくたって気付いてる 僕ちょっと考え過ぎ」って歌詞にある通りなの、考えすぎだよって人生で何回言われてきたことか。考えたくて考えてるわけじゃないし、でもその時々で向き合う「君」のこと考えちゃうんだよなあ。人並み以上に。優しさに後ろめたさが生まれるときもあるし、そうなると結局巡り巡って自分のエゴでは?ってなるし。
藤くんが選ぶ言葉の対比が美しいなっていつも思う。「僕」から「君」へは上手に渡せない「優しさ」。「君」から「僕」へは貰ってばかりの「優しさ」。
僕視点でしか描かれてないから完全な憶測になるけど、きっと君もね、僕から優しさを貰ってるはずなんですよ。「望みは望まない事 僕が知らないうちに 君のためになれる事」って歌詞に、僕のすべてが詰まってる気がする。
言葉の対比シリーズ②
お互いがお互いのために「笑ってる」描写。「僕」から「君」へは、僕のエゴだよね、ごめんねって気持ちなのに、「君」から笑顔を受け取った「僕」は、素直にありがとうって思えてるんだよね。貰うときは、相手がエゴかどうかなんてきっと関係ないんだよね。
言葉の対比シリーズ③
「心の外の中」って、一見するとめちゃくちゃ矛盾した日本語だよね。
省略されている日本語を補うとしたら、こんなイメージなのかな。ゲシュタルト崩壊しそう(笑)。
「僕の心の外」と「君の心の外」、つまり「僕と君の中間だけ」に優しさがあるという考え方で合ってるはず。「人と人との=僕と君との」を意味していて、あえて一般論(?)っぽい言い方をしてるのかな、わからん。
言葉の対比シリーズ④
最後です。「人と人との 心の外の中だけ」をもうちょっとわかりやすく伝えてくれてる歌詞がこちら。「誰かとの間」「どちらのものでもない」って言ってるのでね。一人と二人の対比表現はわかりやすいよね。
「僕らで作ったよ」「二人で出会ったよ」って言葉の破壊力えぐすぎる。最初のほうにも書いたけど、こんなひだまりのような温もりのある表現どうやったら思いつくんだよ、藤くん…。僕視点の「それだけに出会いたい」があるから、最後も「君に出会ったよ」でも違和感はない気がするんだけど、「(僕と君と)二人で出会ったよ」にする意味があるんだろうね。
「ひとりごと」最大のポイントは、「僕ら知らないうちに 僕らで作ったよ」だと思う。(「出会ったよ」のインパクトはもちろん強いけどね。)「君の知らないうちに 君から貰ったよ」「僕が知らないうちに 君のためになれる事」という歌詞が中盤に出てくることから、「お互いの優しさが、知らず知らずのうちにお互いのためになっていること」こそが、真の優しさだと受け取れるのかなあ。そして、「優しさ」は、渡すとか貰うとか二人の間を行き来するものではなく、二人で「作った」「出会った」ものだということ。
歌詞考察しながら、ゲシュタルト崩壊しかけてた…。読みづらかった皆さんへ、歌詞を見ながら音楽を聴いてもらえれば伝わると思いますので!!
「#やさしさに救われて」のお題に沿うなら、BUMPの音楽にはたくさんたくさん救われてる。「優しさ」と言っても、たくさん種類があると思っていて、人によっても、メンタルや環境によっても、欲しい「優しさ」は違うはず。
一概に言えないけど、私にとってBUMPは「居場所」としての優しさかな。絶対に聴いてね!とか押しつけがましいことは絶対に言わないし。「君が望んでくれさえすれば、音楽は君の側にいるから」って伝えてくれる、それがたまらなく好き。闇雲に励ますような底抜けに明るい音楽はないし、寂しさ・哀しさ・切なさを含んだ言葉の安心感たるや。誰もひとりぼっちにしない。「一対一」を意識した言葉選びに胸がギュッとなる。気づいたら涙がこぼれる。背中を押すというよりも、背中に背中を合わせてそっとしておいてくれるようなイメージ。
全部大好きだけど、私が特に好きな「流れ星の正体」という曲のフレーズを一部紹介します。情景描写そのものも好きだし、「日が当たらない」存在への救いの言葉にも感じるし。ああ、そっか、流れ星は暗闇でこそ輝くんだよなあ~みたいな日常の些細な瞬間にも思えるし。
せっかくだから(?)、私の話も書こうかな~。
ま、じ、で、だいたいの人から「優しいね」って言われる人生だったよ。物心ついたときには「優しい人」だったと思う。
私の「優しい人」を分解して、連想ゲームスタート!(唐突なテンション)
まあなんでしょう、「優しくしよう」と思って優しい人間になってるわけではないんですよねえ。無意識というか反射的というか。髄が反応して咄嗟にその判断をしてるというか。結果的に、「優しいね」「いい人だね」という言葉に集約されてるだけのような。
こんなことを書いておきながら、本当に仲良しの親友レベルの友達には「いい人」以外の面もとっくにバレております(笑)。なぜなら、私自身が「いかにもいい人」がちょっと苦手だからです。(苦手なことは伝わらないようにしてるので、相手にはバレてないと信じてます…)人間誰しもちょっとやそっと性格悪いな~って笑える部分があったり、あんまり大勢には話したくないような闇を抱えてると思っているので、そういう生々しい人間のほうが人間らしくて好きなんですよね。(※だいたいの占いに、蠍座は闇を抱えてる人を好むって書かれてる気がするけど、めちゃくちゃ自覚ある)
私が「優しい人・いい人でいなくていい」時間を過ごしてくれる親友たちには感謝しかないです。気遣いをしないとかそういうことではないです。ただ、仲良くなると素を出し過ぎてほんとうに口が悪くなります(笑)。
話の着地点を見失っていたら、4,000文字を余裕で超えてました。
優しくしてもらった経験は、それはもう書き切れないくらいあるし、私が受け取った「優しさ」なので、私の中に大事に抱えておこうと思います。あと、BUMPの話が薄まっちゃうのも嫌なので、ここらへんで終わりにしまーす(笑)。
最近書いたBUMPにまつわるnoteたち
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?