「モズキダンベ」 モズク騒動
「モズキダンベ」 モズク騒動――小説
虚士(きょし)が中学1年生(昭和37年)頃の話です。5月の日曜日、2才年上の仲良し七男(ななお)さんと手漕ぎ船で魚釣りに行きました。ほきの鼻、すげ崎と、アンカー(きびり石)を降ろして釣りましたが、ほとんど魚の引きがなくて退屈してしまいました。
そこで次のポイントに移動しようと、アンカーを引き上げ浅瀬の方に目をやると、海中に藻がたくさん繁茂してそれが海面付近まで伸びているのが見えました。
七男さんがなんとなくそれを手ですくって、言いました。「虚士、こりゃ ”モズキダンベ” じゃる!」(これはモズクだ!)「きゅうは魚も釣れんし、これをとって戻ろう!」(今日は魚もつれないので、これを採って帰ろう!)
虚士は ”モズキダンベ” が大好きだったので異存はありませんでした。
[天然モズクの生態]
モズクは天然ではヤツマタモク等の藻(ホンダワラ類)にだけ着⽣して繁茂すると言われています。
私が見たところ、藻の上部にくっついていて、藻の花、或いは藻が変異したように見えましたが、着⽣と言う事ですから、寄生する「宿り木」では無く、単に藻にくっついて自生していると言う事だと思います。またモズクの旬は4~6月です。
虚士と七男さんはモズクが素手で採れるので、短時間のうちに船は ”モズキダンベ” でいっぱいになってしまいました。
帰りが夕方遅くなってしまい、 ”てご” (竹で編んだ容器) 3盃分の ”モズキダンベ” は、あす朝の食事と、他ほとんどを乾燥保存とする事になりました。
次の朝(月曜日)虚士は5時に起きて、母に先日の ”モズキダンベ” を洗ってもらい、ご飯のおかずにたらふく食べました。
家族も食べましたが、虚士ほどは食べていません。
学校に行く準備をして、6時半ごろ自宅を出て、村はずれの禿げ山の下に通りかかった頃、虚士は手に「チカッ―」とするような刺激を感じました。それが時間とともに両手のあっちこっちに拡がり、
とうとう足にも「チカッ―チカッ―」と刺激を受け、何が起こっているのか不安になり、自宅に帰る決心をしました。
虚士が自宅へ帰ると、母がびっくりして「どがんしたと!」(どうしたの!)と言うので、状態を話すと、座って休むように促しました。
症状はどんどん悪くなり、全身を「チカッ―チカッ―」が走り、いたたまれず虚士は板の間を転げ廻り、母もとうとう不安になって、近所の商店の電話を借りて、深海集落(隣町)の医者に往診を依頼をしました。
医者が来たのはそれから3時間ぐらい後のことで、全身の刺激は峠を越えて少し和らいでいました。
医者は食中毒を疑っていましたが、はっきりした原因は解らず腹痛薬を処方してくれましたが、服用しないうちに時間とともに回復し、午後2時頃にはすっかり良くなりました。
その後、虚士の集落に奇病の話が拡がり、もうひとり ”モズキダンベ” を食べた近くの主婦が虚士と同じ症状の病気に掛かった事が解りました。
識者の話らしく、この時期はフグが卵を産むので、 ”モズキダンベ” にフグの卵が付いとったんだろう。との噂が拡がっていました。
虚士の母は ”モズキダンベ” を全て捨て、「誰にもやっとらんで良かった!」と虚士を見て微笑みました。
終わり
(以上は実話に基づいていますが、細部の記憶が怪しいので”小 説”としました)
追記、クサフグの毒
クサフグは体⻑約15センチメートルとトラフグ属の中では最も⼩形で、4⽉から6⽉頃のふぐは産卵期を前に、まず肝臓が栄養を蓄え、肝臓から栄養をもらい⼤きく発育する卵巣の毒性が強くなり、中毒事故の危険性が⾼まると⾔われている。
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