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通信教育にて仏教学の修士課程を修了し、 在野の身にて、研鑽の日々を送っております。 (…

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通信教育にて仏教学の修士課程を修了し、 在野の身にて、研鑽の日々を送っております。 (なかなか居眠りばかりで、進んでおりませんが・・・。)

最近の記事

『華厳経』睡魔・雑念 格闘中27

「十地品」― 燄慧地・難勝地  ―  三十七助道品について 解脱月菩薩の請いを聞き、さらに金剛蔵菩薩が、説法を続けるのであるが、続く第四番目の燄慧地と、第五番目の難勝地には、共通のテーマが流れているように思える。 それは、阿毘達磨で言うところの、三十七助道品である。 三十七助道品について、木村泰賢先生は、次のように解説されている。 残念ながら、木村先生の全集にて、三十七助道品の内容の説明がされていない為、木村清孝先生が、校正注記をされた、『十住経』〔十住品の単独のお経

    • 『華厳経』睡魔・雑念 格闘中26

      「十地品」― 離垢地・明地 ― 第二地である”離垢地”、第三地である”明地”は共通した特徴をもって説明されている。それは、どちらもその地(段階・レベル)に向かうに当たって、いずれも前段階として”心”が重要視されている点である。 第二地である”離垢地”に達するためには、以下の十種の直心を生じる必要があると、述べられている。 1)柔軟心  2)調和心  3)堪受心  4)不放逸心 5)寂滅心 6)直心(注)7)不雑心  8)無貪吝心 9)勝心   10)大心     ※注:

      • 『華厳経』睡魔・雑念 格闘中25

        「十地品」― 歓喜地 釈尊の背中を追って ― この「十地品」の、最初の場面で、とても印象深いことが述べられている。 金剛蔵菩薩によって説法が行われるのだが、言い始めてすぐに、黙ってしまわれるのである。そのため、他の菩薩を代表して、解脱月(げだつげつ)菩薩が是非、その続きをお話してほしいと、頼むのであるが、金剛蔵菩薩は、以下のように躊躇するのである。 三度、解脱月菩薩が、説法の続きを行って欲しいと請い願い、また他の菩薩も、請い願い、更に、釈迦牟尼仏の白毫より光が放たれ

        • 『華厳経』睡魔・雑念 格闘中24

          「十地品」 ― 六相円融について ― 先の、「金剛幢菩薩回向品」が説かれた兜率天宮から、場所はさらに上昇し、この「十地品」からは、他化自在天宮へと場面が移って行く。 この品は、独立した『十地経〔漢訳:十住経〕』が有ることが知られており、『華厳経』において、かなり重要な品であることが伺われる。そのため、この品についても、先の「金剛幢菩薩回向品」よりも、更に歩みを遅くし、いくつかに分けて、十分に確認して行きたいと思う。 1巡目に読んだ際も、きちんと確認した気がしたのだが、読

        『華厳経』睡魔・雑念 格闘中27

          『華厳経』睡魔・雑念 格闘中23

          注:画像は、国立文化財機構所蔵品統合検索システム       (https://colbase.nich.go.jp/)     の”箱書:法隆寺金堂所置玉虫厨子須弥壇画”の一部を切り取って利用 「金剛幢菩薩〔十〕回向品」 ― 回向について 後編 ― 前編にも示したが、この「金剛幢菩薩回向品」は、他の品と比べ、文章量が多く、事細かに、さまざまな例を挙げて、回向について説かれているのであるが、そのうち大部分を、布施(施与)についての説法が占めているのである。そして、そこには

          『華厳経』睡魔・雑念 格闘中23

          『華厳経』睡魔・雑念 格闘中22

          「金剛幢菩薩〔十〕回向品」 ― 回向について 前編 ― 不遜の誹りを免れないであろうが、正直なところ、この品が1巡目で、いちばん眠気を誘われてしまったのである。品自体も長いということもあるのだが、表現の繰り返しや、言い換えがかなり続き、読みながら実際に何度も寝てしまい、本を取り落としたり、何度も数ページ読み進んでは、戻りを繰り返してしまったのである。 そのため、2巡目の今回は、1巡目よりも丁寧に読み進むべく、一気に読み進めることは止めて、2回に分けることとした。 この品

          『華厳経』睡魔・雑念 格闘中22

          『華厳経』睡魔・雑念 格闘中21

           注:画像は、国立文化財機構所蔵品統合検索システム       (https://colbase.nich.go.jp/)     の”兜率天曼荼羅図”(東京国立博物館 所蔵)の     一部を切り取って利用 「如来昇兜率天宮一切宝殿品」、「兜率天宮菩薩雲集讃仏品」 この品から、さらに上昇し、兜率天に於いての場面展開となるのであるが、高さだけではなく、あらゆる規模が、先の「仏昇夜摩天宮自在品」と比べ、桁違いのものとなるのである。 「仏昇夜摩天宮自在品」では、”十万種の宝

          『華厳経』睡魔・雑念 格闘中21

          『華厳経』睡魔・雑念 格闘中20

          「菩薩十無尽蔵品」 この「菩薩十無尽蔵品」も、前の品に引き続き、功徳林菩薩の説法が続いており、菩薩の十の蔵〔貯えるべきものとでも言うべきであろうか〕について述べられているのである。 功徳林菩薩が説く十蔵をまとめてみると、以下のようになろう。 1)信蔵 ・・・一切の法が空、無相、無願など、無尽の信を身につける 2)戒蔵 ・・・浄戒など様々な戒を持つ 3)慚蔵 ・・・無慚の行いを離れる 4)愧蔵 ・・・貪欲等の心を自ら愧じる 5)聞蔵 ・・・十二縁起等、様々な法を学ぶ 6)

          『華厳経』睡魔・雑念 格闘中20

          『華厳経』睡魔・雑念 格闘中19

          「功徳華聚菩薩十行品」 前の「夜摩天宮菩薩説偈品」に登場された、功徳林菩薩によって、この品は、菩薩が行うべき十の行について説かれている。 その十の行をまとめてみると、以下のようになろう。 1)歓喜(かんぎ)行    ・・・悉く一切の所有を捨離し、等心に一切の                   衆生に恵み施す 2)饒益(にょうやく)行  ・・・浄戒を持(たも)ちて一切の纏(てん)                  煩悩の熾火(しか)と、憂非苦悩とを           

          『華厳経』睡魔・雑念 格闘中19

          『華厳経』睡魔・雑念 格闘中18

          「仏昇夜摩天宮自在品」「夜摩天宮菩薩説偈品」― 如心偈 ― 品の名前にある通り、これまでの帝釈天の宮殿から、さらに場所が上昇し、場面は、夜摩天の宝荘厳殿へと移っていく。 「仏昇夜摩天宮自在品」では、十の如来の名が示され、その如来がいらっし ゃる宮殿が吉祥であることが、偈頌される。 続く、「夜摩天宮菩薩説偈品」では、今度は十の菩薩がそれぞれの名前に相応しいそれぞれの立場の偈を(功徳林が功徳に関しての偈を誦するといったように)頌していくのである。 そのなかで、”如心偈”や

          『華厳経』睡魔・雑念 格闘中18

          『華厳経』睡魔・雑念 格闘中17

          「明法品」 ― 普賢菩薩の所願 ― 『華厳経』を1巡目に読んだ際に、この品に於いて、唐突に「普賢菩薩の所願を具足せんことを願い」と法慧菩薩は精進慧菩薩に告げている場面があるのだが、この所願とは一体何であろうかと、気にはなったものの、そのまま読了してしまい、それが何であったのか、まったく分からずじまいで終わってしまった。 2巡目の今回は、少し本経(六十華厳)を離れ、別な資料にて確認したい。 1巡目に読んだ際には、普賢菩薩の願と思わるものを確認することは出来なかった。(居眠

          『華厳経』睡魔・雑念 格闘中17

          『華厳経』睡魔・雑念 格闘中16

          「明法品」 ― 十波羅蜜について ― 先の「初発心功菩薩徳品」の帝釈天とのやり取りに代わり、「明法品」では精進慧菩薩の問いに、法慧菩薩が、様々な菩薩の修習=修行について、答える形で構成されている。 法慧菩薩の偈に、その大事な部分がまとまっているので、抜粋したい。 上記のように、不放逸・不退転の態度で、菩提心を持ち続けることが強調されている。さらにこの「明法品」では、十波羅蜜について、細かく述べられている。 波羅蜜については「菩薩明難品」に於いて、文殊師利と智首菩薩との

          『華厳経』睡魔・雑念 格闘中16

          『華厳経』睡魔・雑念 格闘中15

          「初発心菩薩功徳品」 「梵行品」に変わって、また唐突に今度は、帝釈天からの問いに、法慧菩薩が答える形で、この「初発心菩薩功徳品」は始まる。 この品の最後の偈に於いて、法慧菩薩が述べるように、ここでの”発心”はすなわち、”発菩提心”の意味である。 ”菩提心”を発(おこ)すことによって成るところの、様々な功徳について、この品で法慧菩薩は滔々と述べるのであるが、では、”発菩提心”そのものはどのようなことを示しているのであろうか。 ”発菩提心”の内容について、鈴木大拙先生は以

          『華厳経』睡魔・雑念 格闘中15

          『華厳経』睡魔・雑念 格闘中14

          「梵行品」 この品には、偈が無く、かなり短いのだが、「十住品」において示された境地に於いて、どのように行を修習していけば良いのか、唐突に現れる正念天子の問いに答える形で、「十住品」同様に、法慧菩薩の口からその行について語られる。 では、ここでの”梵行”とはなんであろうか、”梵”は、ウパニシャッドでは、ブラフマン=最高・根本のことであろうが、この品より先に述べられた”浄行”との違いはなんであろうか。 「浄行品」では、智首菩薩が、文殊師利の問いに答える形で、身口意の業に於い

          『華厳経』睡魔・雑念 格闘中14

          『華厳経』睡魔・雑念 格闘中13

          「菩薩十住品」 1巡目に読んだ際には、この”住”の文字は全く気にせずに、読み進めていたが、2巡目の今にして”住”が気になってしまった。 手元の漢和辞典(角川 新字源)で"住"の意味としては、「とどまる」「じっと立ち止まる」とある。 しかし、1巡目をすでに読み終えている感触からすると、”とどまる”というのは少し、似つかわしくない。『華厳経』での菩薩のイメージは、常に発展的に進み続けているイメージだからである。 これについては、木村清孝先生の『十住経』での解題部分がヒント

          『華厳経』睡魔・雑念 格闘中13

          『華厳経』睡魔・雑念 格闘中12

          「仏昇須弥頂品」、「菩薩雲集妙勝殿上説偈品」 この2つの品から、場面が展開し、さらに場所が上昇していく。 「仏昇須弥頂品」、「菩薩雲集妙殿上説偈品」では、須弥山の頂きに在る 妙勝殿に於いて、帝釈天、十菩薩による偈が中心となっている。 「仏昇須弥頂品」では、過去七仏と、三の如来と、併せて十の仏に於ける 功徳について讃嘆した偈となっている。 ここで、七仏として思い出されるのは、”七仏通戒の偈”として知られる次のようなものであろう。 道元禅師は、『正法眼蔵』「諸悪莫作」の巻

          『華厳経』睡魔・雑念 格闘中12