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『華厳経』睡魔・雑念 格闘中13
「菩薩十住品」
1巡目に読んだ際には、この”住”の文字は全く気にせずに、読み進めていたが、2巡目の今にして”住”が気になってしまった。
手元の漢和辞典(角川 新字源)で"住"の意味としては、「とどまる」「じっと立ち止まる」とある。
しかし、1巡目をすでに読み終えている感触からすると、”とどまる”というのは少し、似つかわしくない。『華厳経』での菩薩のイメージは、常に発展的に進み続けているイメージだからである。
これについては、木村清孝先生の『十住経』での解題部分がヒントになるかも知れない。
「『十住経』〔中略〕原本の梵語名は、おそらく現存する梵本の『十地
経』と同じ〔中略〕より一般性を持つ「地」ではなく、「住」(〔一定の
場所に〕とどまること、また、その境地)の語をもって訳したと推量され
る」
木村先生の言葉をお借りすると、この品での”住”は、”境地”の意味が相応しいような気がするのである。
では、菩薩の十の境地とは、いかなるものなのかを、法慧菩薩の偈から以下にまとめてみた。
1)発心住・・・ 無量の衆の、生死に輪転して諸の苦の受くるを見ば、
為に救護帰依の者と作(な)る
2)治地住・・・ 明らかに深義を解(げ)し正法を了(さと)れば、則
ち一切の諸の痴冥を離る、已に愚痴を離るれば心安住す
3)修行住・・・ 無常・苦・空にして堅固なる無く、我無く、主なくし
て自在ならずと諸法を観ず
4)生貴住・・・ 一切三世の諸の如来を、平等に観察するに異相無く、
分別するに差別は得可(うべ)からず
5)具足方便住・・・一切世の為に衆難を除き、永く生死を抜きて歓喜せし
め、一切諸の群生を調伏し、功徳を具足して涅槃に趣か
しむ
6)正心住・・・ 一切の法は性相無く、其の義は真実にして虚空の如く、
猶お幻や化や夢の所見の若(ごと)しと観ず
7)不退住・・・ 一即多、多即一、義味寂滅して悉く平等に、一異顛倒の
相を遠離す
8)童心住・・・ 悉く一切衆生の心を知り、善能(よ)く諸の欲性を観察
し、衆生と法と無差別なることと、十方世界の成敗(じょ
うはい)の相とを了(さと)り
9)法王子住・・・善能(よ)く法王の所に了達し、法王の威儀法に随順
し、善能(よ)く法王の位に安入することを知り、善能
(よ)く法王界を分別することを知る
10)灌頂住・・・ 一切諸の世界を尽くして、皆悉く能(よ)く光を持して
普く照らし、一切群生の類を尽くして、為に究竟の正覚
智を説く
「菩薩十住品」は、本でいうところの目次に近いものであろうか、各々詳しくは述べられているわけではないものの、端的にそれぞれが、どのような境地であるかが示されており、その詳細は、後の品で語られることになるのである。
そのためか、この品の最後の法慧菩薩の偈は、以下のような発心についての賛で締めくくられている。
「菩薩の初発の菩提心は、広大無辺にして辺あること無く、大慈大悲をも
って一切を覆う、何(いか)に況や菩薩の余の功徳をや。」
〔旧仮名遣いを新仮名遣いに改めた他、旧字体を新字体に改めた。〕
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