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『華厳経』睡魔・雑念 格闘中21

 注:画像は、国立文化財機構所蔵品統合検索システム   
   (https://colbase.nich.go.jp/)
    の”兜率天曼荼羅図”(東京国立博物館 所蔵)の
    一部を切り取って利用

「如来昇兜率天宮一切宝殿品」、「兜率天宮菩薩雲集讃仏品」

この品から、さらに上昇し、兜率天に於いての場面展開となるのであるが、高さだけではなく、あらゆる規模が、先の「仏昇夜摩天宮自在品」と比べ、桁違いのものとなるのである。

「仏昇夜摩天宮自在品」では、”十万種の宝”や”十万の菩薩”などの表現に対して、この「如来昇兜率天宮一切宝殿品」では、”百万億の無量自在の妙宝”
や”百万億の諸大菩薩”のように、はるかに大きく、スケールが飛び抜けた表現となっている。

兜率天宮とは、空中に住む天(空居天〔くうごてん〕)である。兜率天が住まわっている宮殿とされているが、初期仏教に於いては、特に釈尊の前生譚と関連付けられる場所である。

 「毘婆尸は已に修行満ちて兜率天(Tusita)になったが、時期の到来した
 のを見て天宮より下り、王妃槃頭婆提の右脇より托胎した。〔中略〕かく
 して月満ちるや毘婆尸菩薩は母の右脇より出生し、直ちに七歩して唱えて
 曰く〔中略〕これすはわち大本教にある毘婆尸仏陀の因縁にして、殆ど全
 部が釈迦仏の伝と称せられるもの」

木村泰賢全集刊行委員会編,『木村泰賢全集 第5巻 小乗仏教思想論』,大法輪閣,1991,pp.86-87

「如来昇兜率天宮一切宝殿品」では、次のように如来の姿を讃歎し、華や華飾り、お香などで恭敬することが偈頌されるのである。

 「無量の菩薩は如来の真実の功徳を称歎し、永く顚倒を離れて、正法に安
 住し、一切の力を具えて能く衆生をして諸々の悪難を離れ、善道を開示せ
 しめ。〔中略〕無畏を具足して、心常に歓喜せり。」

 〔旧仮名遣いを新仮名遣いに改めた他、旧字体を新字体に改めた。〕 

『国訳大蔵経』,経部第五巻,第一書房,2005,p.537

つづいて、「兜率天宮菩薩雲集讃仏品」では、金剛幢菩薩に始まり、十の菩薩による偈頌がなされるのであるが、代表して、金剛幢菩薩の偈から分かりやすい部分を抜き出してみよう。

 「一切智を求め、自然〔じねん〕に正覚を成〔じょう〕ぜんと欲せば、ま
 ず先に当に其の心を浄〔きよ〕くし、具〔つぶさ〕に菩薩の行を修すべ
 し。」
  〔旧仮名遣いを新仮名遣いに改めた他、旧字体を新字体に改めた。〕


  『国訳大蔵経』,経部第五巻,第一書房,2005,p.553

この品でも、他の品と同様に、菩薩の行を修する重要さが、説かれているのであるが、加えて”如来〔法身・妙色身〕を見る”ことも、いくつかの偈に於いて示されている。

残念ながら、現代に生きる我々は、直接、人間としての肉体を持った、釈尊に直接お会いすることは叶わない。しかしながら、釈尊が説いた法やその考え、あるいはその精神性を反映させた諸仏〔あるいは諸仏が釈尊に反映させたとも言えようか〕には出逢うことが出来るのではないだろうか。

それは、瞑想、禅的なアプローチや、念仏、読経、写経、など、祖師達が工夫・修習して来たこれまでの大乗的な修行において、それは為されてきたと言えよう。

幼子が、見えなくなった父母の姿を追い求めるように、現代のわれわれは様々な大乗の手段を通じて、釈尊のお姿を追い求めているのである。






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