『華厳経』睡魔・雑念 格闘中21
注:画像は、国立文化財機構所蔵品統合検索システム
(https://colbase.nich.go.jp/)
の”兜率天曼荼羅図”(東京国立博物館 所蔵)の
一部を切り取って利用
「如来昇兜率天宮一切宝殿品」、「兜率天宮菩薩雲集讃仏品」
この品から、さらに上昇し、兜率天に於いての場面展開となるのであるが、高さだけではなく、あらゆる規模が、先の「仏昇夜摩天宮自在品」と比べ、桁違いのものとなるのである。
「仏昇夜摩天宮自在品」では、”十万種の宝”や”十万の菩薩”などの表現に対して、この「如来昇兜率天宮一切宝殿品」では、”百万億の無量自在の妙宝”
や”百万億の諸大菩薩”のように、はるかに大きく、スケールが飛び抜けた表現となっている。
兜率天宮とは、空中に住む天(空居天〔くうごてん〕)である。兜率天が住まわっている宮殿とされているが、初期仏教に於いては、特に釈尊の前生譚と関連付けられる場所である。
「如来昇兜率天宮一切宝殿品」では、次のように如来の姿を讃歎し、華や華飾り、お香などで恭敬することが偈頌されるのである。
つづいて、「兜率天宮菩薩雲集讃仏品」では、金剛幢菩薩に始まり、十の菩薩による偈頌がなされるのであるが、代表して、金剛幢菩薩の偈から分かりやすい部分を抜き出してみよう。
この品でも、他の品と同様に、菩薩の行を修する重要さが、説かれているのであるが、加えて”如来〔法身・妙色身〕を見る”ことも、いくつかの偈に於いて示されている。
残念ながら、現代に生きる我々は、直接、人間としての肉体を持った、釈尊に直接お会いすることは叶わない。しかしながら、釈尊が説いた法やその考え、あるいはその精神性を反映させた諸仏〔あるいは諸仏が釈尊に反映させたとも言えようか〕には出逢うことが出来るのではないだろうか。
それは、瞑想、禅的なアプローチや、念仏、読経、写経、など、祖師達が工夫・修習して来たこれまでの大乗的な修行において、それは為されてきたと言えよう。
幼子が、見えなくなった父母の姿を追い求めるように、現代のわれわれは様々な大乗の手段を通じて、釈尊のお姿を追い求めているのである。
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