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『華厳経』睡魔・雑念 格闘中19

「功徳華聚菩薩十行品」

前の「夜摩天宮菩薩説偈品」に登場された、功徳林菩薩によって、この品は、菩薩が行うべき十の行について説かれている。

その十の行をまとめてみると、以下のようになろう。

1)歓喜(かんぎ)行    ・・・悉く一切の所有を捨離し、等心に一切の 
                 衆生に恵み施す
2)饒益(にょうやく)行  ・・・浄戒を持(たも)ちて一切の纏(てん)
                 煩悩の熾火(しか)と、憂非苦悩とを
                 離れ
3)無恚恨(むいこん)行  ・・・常に能く忍辱の法を修習し、謙卑にして  
                 恭敬し、和顔にして愛語し、自ら害せず
                 他を害せず、また倶(とも)に害せず
4)無尽(むぢん)行    ・・・諸々の煩悩を捨離せんと欲するが故に
                 精進を修行し、一切の結を害せんと欲す
                 るが故に、を精進を修行し
5)離痴乱(りちらん)行  ・・・正念を成就し、諸禅の三昧正受に安住し
                 て未だ散乱せず。堅固不壊にして、摩事
                                                            を遠離し
6)善現(ぜんげん)行   ・・・寂滅の身口意業を成就して、所有なく、
                 示現する所無く、身口意の業に、縛無く
                 脱も無し、心に随いて住し
7)無著(むぢゃく)行   ・・・心に所著無く。正心増広し、意を摂して   
                 乱れず
8)尊重(そんぢゅう)行     ・・・一向に専(もっぱ)ら無上の菩提を求め
                 て、未だ曽て暫くも菩薩の大願を捨てず
                 無量劫に於いて菩薩の道を行じ
9)善法(ぜんほう)行   ・・・一切の衆生の為に、清涼の法池と作
                (な)り正法を守護して
10)真実(しんじつ)行     ・・・一切の善根(ぜんごん)を成就して、三
                 世の諸仏の無二の語を学び、如来の一切
                 の智慧に随順す。
 
※『国訳大蔵経』,経部第五巻,第一書房,2005,pp.476-492 を基にまとめた。

木村清孝先生は、『華厳経入門』の中で、この品の菩薩の十行について「内容的には、ほぼ十波羅蜜の実践に対応しているように思われます。」(角川ソフィア文庫,2015,p.151)と仰っておられるが、私はむしろ六波羅蜜のアレンジといった方が良いように思える。(十行の前半の太文字にした部分は、六波羅蜜の5つが順番通り、踏襲されている。)

いわゆる十波羅蜜と呼ばれる後半部分(方便波羅蜜、願波羅蜜、力波羅蜜、智波羅蜜)と、この菩薩の十行の後半部分は、かなり違っているのではないであろうか。

しかし、『華厳経』では、このような類型のような小さな考え方は、取り払われているのである。

功徳林菩薩は、偈の最後の方で、次のように偈頌している。

 「菩薩の行は無量にして、一切能く知ること莫(な)し、一切の行を示現
 して、衆生を度せんと欲するが故なり。」

『国訳大蔵経』,経部第五巻,第一書房,2005,p.502

そうして、これらの行を行う動機としての、衆生の(普段の私の)姿が、生々しく描かれている。少し長いが、引用したい。

 「大苦悩を受け、危険の径(みち)に趣(おもむ)き、諸の煩悩の為に纏 
 縛(てんばく)せられて、重病人の如く常に苦痛を被り、恩愛に緊縛(け
 ばく)せられて生死の獄に在り、常に地獄、餓鬼、畜生、閻羅王の所を離
 れず、永く無量の苦聚(くじゅう)を滅すること能わず、三障を離れずし
 て、常に愚痴の闇に所(しょ)し、真実の明(みょう)を見ずして、無窮
 に生死(しょうじ)を受け、解脱の道を得ず。八難に輪廻し、愚痴に病 
(なや)まされ、諸垢(しょく)に染(ぜん)せられて、無量の深き煩悩海
 に没在し、邪見に惑わされて正道を見ず。」

 〔旧仮名遣いを新仮名遣いに改めた他、旧字体を新字体に改めた。〕

『国訳大蔵経』,経部第五巻,第一書房,2005,p.477

このように菩薩は、衆生の姿を観察し、次のように意思を固めるのである

 「我衆生を寂静にせずんば、誰か当に寂静にすべき。我衆生をして歓喜せ 
 しめずんば、誰か当に歓喜せしむべき。我衆生を清浄(しょうじょう)に
 せずんば、誰か当に清浄にすべき」と
  
   〔旧字体を新字体に改めた。〕

『国訳大蔵経』,経部第五巻,第一書房,2005,p.477



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