見出し画像

わたしを離さないで

日本語版
わたしを離さないで
著者 カズオ イシグロ
訳 土屋 政雄
出版 ハヤカワepi文庫(2008年発行 2017年 66刷)

英語版
Never let me go
Kazuo Ishiguro
Vintage(2005/04/05)
※感想はネタバレを含みます

英語版を読む動機

イシグロ作品は「日の名残り」、「忘れられた巨人」を以前読んでいました。クララとお日さまの出版事前宣伝のような形で本屋で目に留まり2021年2月頃、僕は日本語版を読みました。
そして、読後、後味悪く、腑に落ちない感覚に陥りました。
その後、「クララとお日さま」を読み、再読してみたくなりました。

腑に落ちない感覚を払拭できるかもしれないと思い、再読は英語の原著を読むことにしました。

日本語版との違い

”You”の頻度が高く、読者に対して言っているのか、誰に対して語っているのか、曖昧な箇所もあり、読者にそうした考える余地を残していました。
この"You"に関しては、様々なところで取り上げられていることも知りました。

※日本語版では対象を明確にしている場面もあったため、訳者の土屋政雄さんがいかに素晴らしい翻訳者なのか思い知らされました。

また、かわいそうな子という日本語の訳も英語版ではpoor creatureとなっており、僕にとっては、かなり衝撃的でした。

あらすじ

臓器提供のためのクローンの子どもたちがいくつかの施設で保護官の下で育てられる。
最初は数年ドナーたちの介護人として従事し、それが終わるとドナーとして数回に渡り臓器提供が始まる。
物語は31歳のキャシー視点で語られる。
キャシーはヘイルシャムという施設出身であり、ヘイルシャムは比較的クローンたちの尊厳を重視する珍しい施設であったのだろう。
そんなヘイルシャム出身のキャシーは11年以上介護人として従事していたが、もう介護人を辞めようとしていた。
そんな時、同じヘイルシャム出身のルース、トミーの介護人となる。
彼らとの再会をしたキャシーは、幼少期から介護人になるまでの回想を始める。

登場人物

・キャシー
ヘイルシャム施設出身の介護人。キャシー31歳の時から物語が始まる。
序盤では介護人としての仕事ぶりを自慢するつもりはないと言っておきながら、後半自負するあたり、人間臭さもある。

・ルース
同施設でキャシーの友人。少し意地悪であったり、子どもらしい一面を見せたり、トミーとのやりとりで普通のどこにでもいる女の子らしさを見せる。 ドナーとして介護人キャシーと再会する。

・トミー
同施設でキャシーの友人であり、ルースの恋人であった。ルースと別れた後キャシーと付き合う。ドナーとしてキャシーと再会する。
キャシーを連れて、運命に抗うという思考に至らなかったのは何故?ずっと疑問が残る。

・ルーシー先生
保護官。癇癪を起したり、絵を描く事に躊躇するトミーに対し、「描きたくないならば描かなくてよい」と言い気づきを与える。その反面、クローンであるから気にする必要がないといったことを暗示しているのかもしれない。(個人的感想)

・エミリ先生
キャシー、ルースやトミーらの主任保護官。のちにキャシーとトミーが再会する。マダムのことをダーリンと呼ぶ。
マダムとできてる?!(個人的感想)

・マダム(マリ・クロード)
ヘイルシャムの展示会に訪れて子どもたちの作品を持ち帰る。のちにキャシーとトミーが再会する。
エミリ先生とできていたとしたら、子どもが持てなかった自身に重ねてNever let me goで泣いていたりもしたのか気になる。(個人的感想)



以下、ネタバレを含みます


感想

ヘイルシャム以外での施設のクローンたちの待遇
キャシーらがあまりにも主体性なくドナーになる過程
儚い彼らの持った希望がただの夢でしかなかったという事

これらは、つぎのような想像へと繋がります。

彼らが疑問を持つようには育成や教育されなかった事
保護官は事実をクローンに伝える事をしなかった事
ただのクリーチャーとして扱われていた可能性がある事

保護官たち、ひいては、他の人々がクローンやヘイルシャムのような施設をどう捉えていたのかなど非常に疑問が残りました。そこで、僕は原著で再読することにしてみました。

ヘイルシャム以外での施設のクローンたちの待遇

待遇の違いを感じさせる箇所がすでに冒頭でキャシーの担当するドナーからキャシーを通してぼんやりと知ることができます。

「“Did you have a sports pavilion?” “Which guardian was your special favourite?” At first I thought this was just the drugs, but then I realised his mind was clear enough. What he wanted was not just to hear about Hailsham, but to remember Hailsham, just like it had been his own childhood. He knew he was close to completing and so that’s what he was doing: getting me to describe things to him, so they’d really sink in, so that maybe during those sleepless nights, with the drugs and the pain and the exhaustion, the line would blur between what were my memories and what were his. That was when I first understood, really understood, just how lucky we’d been—Tommy, Ruth, me, all the rest of us.」
—『Never Let Me Go』Kazuo Ishiguro著 p5

ヘイルシャム以外の全寮制施設では、体育館などもなく、殺風景だったのでしょうか。

ルーシー先生

絵が描けないと訴えたトミーに対し、保護官のルーシー先生は、励ますかのように、こう言います。

“Well . . . The thing is, it might sound strange. It did to me at first. What she said was that if I didn’t want to be creative, if I really didn’t feel like it, that was perfectly all right. Nothing wrong with it, she said.”
—『Never Let Me Go』Kazuo Ishiguro著 p22

文字通りに受け取ると、やりたく無いならばやらなくていい。と言ったとなります。
しかし、絵を描くような事をクリーチャーであるトミーには必要ない、とルーシー先生が暗示しているようにも見受けられます。

「After what seemed a very long while, Miss Lucy said: “All I can tell you today is that it’s for a good reason. A very important reason. But if I tried to explain it to you now, I don’t think you’d understand. One day, I hope, it’ll be explained to you.”」
—『Never Let Me Go』Kazuo Ishiguro著 p36

キャシーらは臓器提供するクローンである

と言う事を説明しないご都合主義の教育が施設では行われていました。それに対してルーシー先生はクローンであると伝えるべきか否かで苦しんでいるのも垣間見れます。

明示的にしない代わりに、施設の子どもらには生殖機能がない事を伝え、徐々に自分たちがドナーであることを自覚させていく刷り込み教育がされていきます。

ドナーとしてのクリーチャー

「“Poor creatures. What did we do to you? With all our schemes and plans?” She let that hang, and I thought I could see tears in her eyes again. Then she turned to me and asked: “Do we continue with this talk? You wish to go on?”」
—『Never Let Me Go』Kazuo Ishiguro著 p233
「“Poor creatures. I wish I could help you. But now you’re by yourselves.”」
—『Never Let Me Go』Kazuo Ishiguro著
p248
「“You poor creatures,” she repeated, almost in a whisper. Then she turned and went back into her house.」
—『Never Let Me Go』Kazuo Ishiguro著 p249
「you see. It reminded people, reminded them of a fear they’d always had. It’s one thing to create students, such as yourselves, for the donation programme. But a generation of created children who’d take their place in society? Children demonstrably superior to the rest of us? Oh no. That frightened people. They recoiled from that.”」
—『Never Let Me Go』Kazuo Ishiguro著 p241

クローンの子どもたちのほうが優れていると、恐れられていたようです。

「“That’s most interesting. But I was no more a mind-reader then than today. I was weeping for an altogether different reason. When I watched you dancing that day, I saw something else. I saw a new world coming rapidly. More scientific, efficient, yes. More cures for the old sicknesses. Very good. But a harsh, cruel world. And I saw a little girl, her eyes tightly closed, holding to her breast the old kind world, one that she knew in her heart could not remain, and she was holding it and pleading, never to let her go. That is what I saw. It wasn’t really you, what you were doing, I know that. But I saw you and it broke my heart. And I’ve never forgotten.”」
—『Never Let Me Go』Kazuo Ishiguro著 p248

たとえクローンであっても人道的であるべきだとエミリ先生とマダムは力を尽くしてきました。それでも、マダムのどこか心の中で「クリーチャー」であるという意識があったのでしょう。しかし、Never let me goの曲をキャシーが聞いているのを眺めていたときに、魂のある人間に変わりないということを悟り、マダムはショックを受けたのだと思います。

幼い頃からの全寮制教育のもたらしたもの

お互いに愛し合っていたのにもかかわらず、抵抗することなく、ドナーになる道を選ぶトミーと、その介護を引き受けるキャシー。
なぜ運命に抗うことなく、流されるままなのでしょうか。

「“I suppose you’re right, Kath. You are a really good carer. You’d be the perfect one for me too if you weren’t you.” He did a laugh and put his arm round me, though we kept sitting side by side. Then he said: “I keep thinking about this river somewhere, with the water moving really fast. And these two people in the water, trying to hold onto each other, holding on as hard as they can, but in the end it’s just too much. The current’s too strong. They’ve got to let go, drift apart. That’s how I think it is with us. It’s a shame, Kath, because we’ve loved each other all our lives. But in the end, we can’t stay together forever.”」
—『Never Let Me Go』Kazuo Ishiguro著 p258

「そうだな、キャス。君は優秀だ。君が君じゃなかったら、おれにも完璧な介護人だったんだけどな。」
(中略)
「おれはな、よく川の中の二人を考える。どこかにある川で、すごく流れが速いんだ。で、その水の中に二人がいる。互いに相手にしがみついている。必死でしがみついてるんだけど、結局、流れが強すぎて、かなわん。最後は手を離して、別々に流される。おれたちって、それと同じだろ?残念だよ、キャス。だって、おれたちは最初から、ずっと昔からー愛し合ってたんだから。けど、最後はな……永遠に一緒ってわけにはいかん」
—「わたしを離さないで」カズオ・イシグロ p431-432

後半最後の方での、トミーがキャシーに言う場面で、僕は、彼らが不条理に抗おうと、彼らなりに必死であったことを痛感させられました。

前述のルーシー先生の項で取り上げたように、彼らは何者であるのか、という事を刷り込み教育されてきています。そして、彼らが「臓器提供者」のドナーとしての最低限の育成と僅かながらの芸術や運動などしか教育されていません。人間としての尊厳や主体性を持って「生きる」ことを教育されてこなかったことも痛感させられました。

おわりに

トミーの言う、「川」=臓器提供のクローンがいるのが当たり前の社会そのもの

諦念からの無抵抗なのか、それとも単純に生きることの尊厳を学ぶ機会がなく、抵抗しきれないのか?
そうだったとしても、中盤までのトミーやルースたちのあどけない日常の描写で彼らがいかに素晴らしい子どもたちであったか伝わってきます。彼らなりに精一杯、閉ざされた世界で生きて一瞬輝いていた時期。尚更、やりきれない思いが残ります。

また、たとえ、誰かのコピーだとしても、彼らには彼らなりの背景が生きていく上で自然と出来上がり、それらの繋がりこそが重要な事だと伝えてきているように思います。

カセットテープのオリジナルとその代替品は人間とクローンの関係性のメタだと僕は考えています。

「At that point, I think I was just relieved she’d finally found the tape and not made a huge scene about it, and so maybe I wasn’t being as careful as I might have been. Because before long, we’d drifted from laughing about Lenny to laughing about Tommy. At first it had all felt good-natured enough, like we were just being affectionate towards him. But then we were laughing about his animals.」
—『Never Let Me Go』Kazuo Ishiguro著
p175

オリジナルであろうとコピーであろうと気にしていない様子のキャシー。

個々の持つ背景が違い、その背景との関連性こそが重要だとキャシーは気付いているのでしょう。

社会風潮が善なのか悪なのか、主体性を持って判断することの大切さ。
倫理の線引きや、個々の中での確固たる倫理観を持つための教育。
個々のつながりと、そこから生まれるささやかな歴史の大切さ。

この作品は、こうした事もさらに考えさせられます。

Vintage版では巻末にイギリスguardianの編集者による読み方ガイドとして11のポイントが提示されていました。
それはまた後日書いてみようと思います。

余談 初めて読んだ時の感想

インスタで日本語版を読んだ時の感想を載せたときは、必死に彼らなりに不条理に抗っている姿はわかるものの、あまりピンときていませんでした。

2021/03/02 インスタから
不条理
世界に意味を見出そうとする人間の努力は、最終的には失敗せざるを得ない。
キャス、ルース、トミーは、自分達が何者であるかマダムを通してその意味を探ろうとする。
最終的にはその行為、彼らを取り巻く環境、状況全て、実存主義的に言うと、不条理すなわち、絶望的なものであった。
不条理さをよくコントロールされた文脈でスルスルと描き通されている。
彼らの青春時代のちょっとした日常の滑稽さや、淡い恋愛、性への目覚めなどがそのコントロールされた文脈で挿入されていることにより、不条理さがより際立つ。
自らのレールに敷かれた運命を切り開こうとする事なく、ただ淡々と運命を受け入れて行く姿に、俺はぼんやりと、やるせなさと得体の知れない不自由さを感じとった。
それと同時に、フランツ・カフカを思い浮かべずにはいられなかった。
カフカが個人的な不条理さを描いた実存主義文学だとすると、この作品は非現実的な、けれどもあってもおかしくない、世界の不条理さを描いている。
https://www.instagram.com/p/CL6FXKiD76J/?utm_medium=copy_link

再読後も不条理さは変わらないのですが、ルーシー先生に対する考察、エミリ先生とマダムの関係、キャシーやトミーの自己欺瞞があるのかないのかなどに対しても、さらに考えさせられました。

また、この本を読んだ当初、僕は、あまりイシグロ作品が好きになれませんでした。

クララとお日さまの読後から淡々とした不確かな一人称の語り方がなぜかスッと入るようになったかも知れません。

カズオ・イシグロ略歴

1954年11月8日(66歳)日本・長崎県長崎市で誕生
1960年 イギリスへ渡り、現在イギリス国籍
1980年  短編「不思議に、ときには悲しく」
1982年 「遠い山なみの光」王立文学協会賞(9か国で翻訳)
1983年 イギリス帰化
1986年 「浮世の画家」ウィットブレッド賞
1986年 ローナ・アン・マクドゥーガルと結婚
1989年 「日の名残り」ブッカー賞 (1993年映画化)
1995年 「充たされざる者」
2000年 「わたしたちが孤児だったころ」
2005年 「わたしを離さないで」(ブッカー賞候補)
2015年 「忘れられた巨人」
2017年 ノーベル文学賞受賞
受賞理由
「壮大な感情の力を持った小説を通し、世界と結びついているという、我々の幻想的感覚に隠された深淵を暴いた」
2021年 「クララとお日さま」


この記事が参加している募集

#読書感想文

189,460件

いただいたサポート費用は散文を書く活動費用(本の購入)やビール代にさせていただきます。