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ハードボイルド書店員日記㉖

またこの季節が来た。

「いい人」だと認めて欲しいがために「いい人」ぶらない他者を叩く。そういう連中が沸いてくる。8.15と3.11の名物だ。有名人が自殺した直後のSNSと似ている。誰もが本当の自分は「叩かれる」側だと心の底で自覚し、怯えている。だからいっそう苛烈に見ず知らずの他人を糾弾し、「私は違います」とアピールする。治安維持法下の密告者のように。

5年前の朝。開店直後に電話が鳴った。相手の男は某テレビ局の報道部を名乗った。番組のためにアンケートをお願いしたいとのことだった。

「もうすぐ5年になります。この時期になると例年震災や防災関係の本が売れると思うのですが」「いえ、普段通りです」「特に人々の『絆」や命の尊さを扱う絵本がよく動くと聞きましたが」「そんなことはありません」受話器越しに戸惑いが伝わってきた。

「…震災にまつわるフェアをお店でおこなうと思うのですが、どれぐらいの規模で期間は」「何も聞いていません」「やらないのですか?」「おそらく」私はやらないし、店長や各担当者からもそういう話はなかった。「それはおかしくないですか? 商売云々を抜きにしても絶対にやらなきゃダメですよ」「誰も『売れないからやらない』とは言っていませんが」先方が刺さったブーメランを抜くのを静かに待った。

「…では失礼ですが震災関連の書籍を読まれたことは」「何冊か」「最もオススメのものは何でしょうか」三冊紹介した。

「その中で最もオススメの一冊は?」「だからその三冊がオススメです」また黙られた。この男は私が名前を挙げた三冊を一冊も知らないと直観した。書名もメモしていなければ何の興味も抱いていないと。「わかりました。ではそれらをもう一度読みたいというお気持ちは当然」「ありません」「はい?」「読みたくありません」舌の鳴る音がした。

「…読みたくないのにオススメ、ですか?」「そうです」「私には理解できませんね」興味のないことを電話で質問してくる方が余程理解に苦しむ。あんな哀しくて胸の苦しい体験は二度としたくない。それだけのことだ。絶対に忘れられないほど深く強く己の内に刻み込まれたのだ。

「あの悲劇を決して忘れてはいけない。我々メディアがそうであるように、本屋さんにもその使命を果たすためにやるべきことがあると思うのですが」「いけませんか?」「え?」「なぜ忘れてはいけないのですか?」「ですから無責任というか、その」自分の頭で考えていない者ほど思わぬ方向から責められると融通が利かず、狼狽したという事実にプライドを傷つけられる。

「忘れたい人だっているでしょう。5年経ってやっと忘れることができた人もいれば、まだ自分を責めて苦しんでいる人もいます」またもや沈黙。機嫌を損ねているのは明らかだった。

「…失礼ですが、あなたは被災者の方で」「違います」嘘をついてまでこの男のマウントなど奪いたくない。「でしたら」「被災していないことに引け目を感じる人もいるのです。震災をダシにしてオリンピックを招致し、儲けようと舌なめずりする輩のメンタルに憧れますよ」かすかな笑いと欠伸を噛み殺す気配が伝わった。

「…でも国が豊かになれば被災者にもたくさんのお金が行き渡るわけですし」「だから東京五輪が終わるまで被災者は我慢しろ、と?」「まあ不景気ですし。あなたもそうでしょ? 書店員、儲からないでしょ?」想像した通りの人間だった。「たしかにね。でもこの国はすでに豊かですよ」あなたクラスにいい給料を払える程度には、と腹の底で付け加えた。

後日同じテレビ局の情報番組で、私の挙げた三冊が紹介された。「あの悲劇を風化させるな。私たちは決して忘れない」という論調で。司会者とゲストのタレントたちが目に涙を浮かべ、震災当時と現在の政権を批判した。会社説明会にリクルートスーツを着て行くように。出演者も作り手もみんな「いい人」だった。




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