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選挙は単なる「多数決」ではない

すでにいろいろな方が言及されていますが、免停中は運転免許を没収されているわけですよね。「停止期間が終わったと勘違いしていた」という言い訳は。。。

免許を携帯しないで運転する習慣があった、ということでしょうか? それはそれでまずいですよね。

国民民主党・山尾志桜里氏の「議員パス私的利用」が記事になったときも思いましたが、いまのご時世こういうのは絶対にバレます。無免許で運転しても露見しない自信があったのでしょうか? 

あと疑問なのは党の姿勢。仮に免停中じゃなかったとしても、せめて選挙期間中の運転は自粛させるべきだったのでは?

2月ごろに免停になってまだ明けていないということは、おそらくこれが初回ではありません(詳しくは↓のサイトを)。免停中という事実を知らされていなかったとしても、そこは党の方で身辺調査をしておかないと。もしこの事故で死傷者が出ていたら、いったいどうするつもりだったのか。。。

この方は党を除名処分になりました。つまり当面は無所属議員として活動していくわけです。でも普通に考えたらなかなか難しいですよね。補欠選挙がおこなわれる可能性は低くないでしょう。イコール税金の無駄遣い。ただでさえコロナ禍の厳しい経済情勢なのに。

改めて現行の選挙制度は必ずしも民意を反映していない、と感じました。極端な話、組織票さえあればどんな人でも議員になれる。当選者と落選者を分けたのが「能力」や「人間性」や「公約」ではなく、バックについた政治力の大小の差だとしたらどうでしょう。これでは単なる「多数決」です。結果へ至るまでのプロセスから「民主主義」のエッセンスが抜け落ちています。

もちろん選挙制度は社会に不可欠。だからこそ、そのあり方を根本から見直す必要がありそうです。

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