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ハードボイルド書店員日記㉛

書店員の社内結婚率は極めて高い。本に対する愛情がふたりを結び付けたのなら他人事とはいえ悪い気はしない。自分の愛読書が何らかの形で役に立ったとすれば尚更だ。文字通りの「人生を変える一冊」になったのだから。

「先輩、○○さんと仲いいですよね?」
月曜朝。雨が降っているせいもあり、開店から30分が過ぎても来客はほとんどない。真ん中のレジにバイトの女の子が入り、各サイズのカバーを折っている。私は脇のPCで担当する棚の売れ行きをチェックし、補充注文をしていた。
「まあそうかな」「よくプロレスの話をしてますよね」「どっちも新日ファンだから」「そうなんですね」○○は古株の仕入れ担当だ。いわゆる職人気質で、退勤間際に大量の荷物が入ってきても文句ひとつ言わず、残業して検品を済ませる。仕事が速い上にミスもしない。但し「人が足りないからレジに入って」みたいなことを言われると「それは俺たちの仕事じゃありません」と拒否する。上からの受けは良くなかったが私とはウマが合った。

「○○がどうかした?」「私、あの人のことが気になっていて。仲良くなりたいんです」彼女は二か月前にデザイン系の専門学校を卒業したばかりのフリーターだ。ウェーブを帯びた栗色の長い髪をポニーテールにしていて色が白い。背が高く、丸いレンズの奥の瞳は少女漫画サイズ。他の女性社員によると、眼鏡を外したら某アイドルグループの中心メンバーとそっくりらしい。小太りの角刈り中年である○○と並べたら「美女と野獣」、いや「麗子と両さん」だ。

「上手くいくと思います? ○○さん、好きな人とか」「そういう話は全く」「どういう人がタイプなんでしょうか」さあ、としか言えない。彼女は目を細めて首を傾げている。「私なんかじゃ絶対相手にされないと思うんですよね」「いや」それは向こうのセリフだろ、と心の中で付け加える。「私、好きな人の前だと頭が真っ白になって何も話せなくなるんです。何か取っ掛かりが欲しくて」「プロレスは?」「全然わかりません」

「春樹」「え?」「アイツ、村上主義者なんだよ。その線で行ってみたら?」「春樹さんなら私も読みます」「何が好き?」「うーん何だろう」「アイツは『羊をめぐる冒険』が断トツだって」「不満そうですね」「どう考えても『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』だろ」「だと思いました」ふふっと口元を緩める。三秒後に三秒戻したくなる笑顔だった。

「おい聞いてくれ。奇跡が起きた」
数日後、出勤すると○○に肩を叩かれた。丸い顔が紅潮している。「オカダが負けるとは思わなかったよな」「プロレスの話じゃねえよ。俺、人生で初めて彼女ができたんだ」「良かったな」「しかも向こうから告白されたんだ。バイトの」例の女の子の名を挙げた。「あんなアイドルみたいな子に。信じられるか?」「信じない」「だよな。っておい」「冗談だよ」「しかも話が合うんだ。あの子も村上主義者でいちばん好きなのが『羊をめぐる冒険』だって」「ああ」「来月が誕生日だから『羊』の単行本を贈ろうと思うんだ」「いいアイデアだな」

翌月、例の女の子とまた朝のレジで一緒になった。以前にもまして瞳が輝いて見える。「私、昨日が誕生日だったんです」「おめでとう」「彼、何を贈ってくれたと思います?」「『羊』の単行本でしょ」「いえ。確かに単行本ですけど『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』でした」「何でまた」女の子はカバーを折る手を止め、くるりと私の方を向いた。「私たち、先輩にすごく感謝しているんです。先輩が結び付けてくれたから。だからそのことを忘れないためにも、ふたりで共有してずっと読み続けようって彼が」ああとだけ返して下唇をぐっと噛む。仕事中だ。アイツ、そんなこと一言も。

いまはどちらも違う業界で頑張っている。SNSのアカウントをたまに覗く。一昨年から名字が同じになった。プロフィール欄の「好きな作家・村上春樹」「好きな本・『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』」も一緒。やれやれ。いつもこんな役回りだ。好むと好まざるとにかかわらず。




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