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令和の「理不尽大王」

「モンゴリアンチョップ」は両者の得意技です。

思い出すのは95年初夏。海外からの帰国直後にヒールターンした天山選手が、IWGP王者の武藤選手に挑戦する際「負けた方がムーンサルトプレスを封印だ!」という条件を出したのです。結果は天山選手の負け。実際しばらくムーンサルトを使いませんでした。

ところが8月に開幕したG1で解禁。「あれは俺のオリジナルの天山プレスだ!」みたいな謎コメントで周囲を煙に巻きました。今回はどうなるでしょうか。

その1年前、故・冬木弘道選手が元・タッグパートナーの川田利明選手が開発した「ストレッチプラム」という技に「冬木スペシャル」というオリジナル名を付けました。「指の角度が一本違う」という理由で。

川田選手が全日本プロレスでトップスターになっていたのに比べて、移籍先のWARで中堅に甘んじていた冬木選手。でもこの一言がきっかけで「理不尽大王」というあだ名が付き、会社や対戦相手に難題を吹っ掛ける頭脳派ヒールとしてブレークしました。セコンドを乱入させて妙な凶器を使うスタイルもウケました。消火器を噴射したりガムテープで相手の口をぐるぐる巻きにしたり。

子どものころ、冬木&川田の「フットルース」というチームが大好きでした。本当にカッコよかったんです。派手なタイツに激しい蹴り。20代のタッグ王者。実況の若林アナに「20代は自由代!」なんて言われたりして。

高野俊二&仲野信市との20代同士のタイトル戦に夢中になりましたし、ダグ・ファーナス&ダニー・クロファットの「カンナム・エキスプレス」との抗争にも熱くなりました。冬木選手のやられる場面が多くて「何してんだよ!」となりましたが、いま動画を見ると「ああ、己を犠牲にして試合をコントロールしていたのか」と気づきます。

冬木選手は新日本プロレスでマッチメイクを仕切っていると噂される外道選手のメンター。「理不尽大王」の両脇を固めていたのが若いころの邪道&外道でした。そう考えると、いまの新日本プロレスは「理不尽大王プロレス」の令和リバイバル版なのかもしれません。

結局俺が何を言いたいかっていうと、「先人の築いた歴史はリスペクトするし、未来を知るためには過去に学ぶことも必要。でも時代に合わせてアレンジしなきゃ昔みたいには輝けないのでは?」ってこと! 


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