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私的プロレススーパースター烈伝㊷カンナムエキスプレス

今回は全日本プロレスで誕生した名チーム・ザ・カンナム・エクスプレス(The Can-Am Express)のご紹介です。カンナムは、全日本プロレスに参戦していたプロレスラー、ダグ・ファーナス選手とダニー・クロファット選手のタッグチームです。

1988年10月、全日本プロレスの「ジャイアント・シリーズ」において両者のタッグが実現。翌1989年より本格的なタッグチームとして始動し、カナダ人のクロファット選手とアメリカ人のファーナス選手のタッグであることから、リック・マーテル選手とトム・ジンク選手のカンナム・コネクションにあやかり、カンナム・エクスプレスのチーム名が冠せられました。

1989年6月5日、フットルース(サムソン冬木選手&川田利明選手)を破りアジアタッグ王座を獲得。以降、1990年3月2日にフットルース、1991年4月20日にニュー・ブリティッシュ・ブルドッグス(ダイナマイト・キッド選手&ジョニー・スミス選手)、同年7月26日にジョー・ディートン選手&ビリー・ブラック選手、1993年9月9日にパトリオット選手&ジ・イーグル選手を破り、同王座には通算5回に渡って戴冠しました。

なお、全日本プロレス参戦当時は、海外ではシングル・プレイヤーとして活動しており、カンナム・エクスプレスは日本限定のタッグチームだったため、来日外国人チームのイメージが強いのですが、全日参戦中の、1992年にはメキシコのUWAにカンナム・コネクションのチーム名で参戦し、UWA世界タッグ王座を争いました。

1996年に全日本プロレスを離脱、同年下期よりECWに登場し、当時ECWと提携していたWWFにも進出し、11月17日に開催された「サバイバー・シリーズ1996」にはヘンリー&フィニアスのザ・ゴッドウィンズと組んで出場。

翌1997年はヒールのポジションに回り、ヒール・バージョンで復活したハート・ファウンデーションとも共闘します。11月9日にカナダのモントリオールで開催された「サバイバー・シリーズ1997」では、「チーム・カナダ」を結成して出場しています。

97年にWWFを解雇されたあとは、ECWに戻りましたが、クロファット選手はECWを離脱、ファーナス選手はシングル・プレイヤーとして1998年下期までECWでの活動を続けた。

日本では正統派のイメージが強いカンナムですが、アメリカではむしろヒールとして活躍していたようです。

ECWでは、抗争相手や団体のカラーにあわせたのか?試合ではイス攻撃も辞さないスタイルです。また、対ヘビー級を意識したのか?同時期にWWFに在籍していたブリティッシュブルドックス同様、ダグ・ファーナス選手は不自然な体つきになっています。 

ファーナス選手は、2012年3月2日、アリゾナ州ツーソンの自宅にて就寝中に50歳という若さでなくなっています。死因はアテローム性動脈硬化と高血圧性心疾患によるものと発表されましたが、晩年はパーキンソン病との闘病を続けていたそうです。このあたりに薬の影響が疑われます。

一方、クロファット選手はメキシコ、カナダのインディー団体を転戦した後、2000年の『世界最強タッグ決定リーグ戦』に藤原喜明組長とのコンビで参戦して全日本に再登場、2001年1月28日の東京ドーム大会にも出場したが、膝の怪我で全盛期の活躍は見られなかった。近年はアルバータ州エドモントンのモンスター・プロレスリングにてトレーナーを務めています。

カンナムエキスプレス


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両親2人の介護を一人でやってます。プロレスブログ「せかぷろ」&YouTube「チャンネルせかぷろ」主宰。現在ステージ2の悪性リンパ腫と格闘中。