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「既得権益」は「責任」と表裏一体

どう考えても開催は厳しいですよね。でも口に出せない。誰かが言い出すのを待っている。要は「誰も責任を取りたくない」。コロナ対策における東京都と政府の対立とまったく同じ構図です。

責任重大な職務に就いているからこそ、彼らは高いお金をもらって裕福に暮らせているのです。そのことを忘れているのでしょうか? 昔の武士のあり方を考えればわかること。しかるべき時が来たら命のやり取りをしないといけないし、理不尽な理由で切腹もする。その代わり普段は年貢を徴収し、特権階級として下々から仰ぎ見られる暮らしをしていられたわけです。

もちろん、いまのご時世で腹を切る必要はありません。でもWHOもIOCもあまりに無策&無責任過ぎますよね。「プランBはない」じゃなくて、それを考えて決断するのが仕事だろうと。もはや何のために存在しているのか。。。

中止という声が全世界で高まる一方、「無観客開催」や「2032年への延期」など、ネット上でいろいろな案が出てきています。以前にも書きましたが、私は堀江貴文氏が推奨していた「リモートオリンピック」も選択肢のひとつだと思っています。

具体的には「ソーシャル・ディスタンスを保った上でのパブリック・ビューイング」や「各競技を世界各地で開催する」など。もちろんできない種目もありますが、何もやらないよりはまだ選手が救われるかな、と。

オリンピックという形じゃなくても、たとえば国内選手同士の試合を「IOC認定」として開催することはできるはず。陸上競技やレスリングなど。我々はお金を出してパブリック・ビューイングで観戦する、もしくは動画で視聴して「投げ銭」をする。IOCは全収益の詳細を公表し、選手にもしっかり還元する。

選手を一か所に集めるのも世界中から観客を呼ぶのも現時点では難しいわけで、これぐらいの規模でこじんまりとやるのがベターではないでしょうか。五輪を本来の「アマチュアの祭典」に近づける(戻す、のは現実的ではないかもしれないので)ための第一歩として今回の件を位置付ければ、少しは意味があったのかなと思えます。

「真夏の甲子園」にも言えることですが、思考停止と既得権益を正当化する手段として「前例」や「伝統」を持ち出すべきではない。そこで考えることこそが彼らの負っている「責任」なのです。

作家として面白い本や文章を書くことでお返し致します。大切に使わせていただきます。感謝!!!