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「損得勘定」や「打算」ではなく

小学生のころ、時々「地域奉仕活動」をしました。

先生方の主導で軍手をはめて近隣の町内を回り、歩道のゴミを拾って黒いビニール袋へ入れるのです。タバコの吸い殻が断トツで多かったと記憶しています。

某識者の発言を鵜呑みにするなら、あれは町の清掃をしてくれる方々の仕事を奪っていたことになります。

職場でレシートや紙くず、濡れた傘を入れるためのビニール袋がフロアに落ちているのをしばしば目にします。もちろん素通りはしません(衛生的にどうかと感じるものは別ですが)。

これも施設の清掃係として働く人たちにとってはありがた迷惑なのでしょうか?

別に褒められたくてやっているわけではありません。ただの習慣です。おそらくサッカーW杯の日本人サポーターも同じはず。それすらも「単なる自己満足」と言われてしまうのは。。。

昔、ひとりのお客様に頼まれて15冊ぐらいの本を探したことがあります。リストの書かれた紙を渡されて「これ全部ね」と。しかも文庫、新書、ムック、専門書などジャンルがバラバラでした。ご家族らしき女性が「こんなにたくさん探してもらったら悪いじゃない」と告げたところ、当人いわく「いいんだよ。これが彼らの仕事なんだから」。

いまでも覚えています。気の毒になりました。そんな風にしか考えられないのかと。仕事だからやるのは当たり前。感謝などしなくていい。仕事じゃないからやらなくて当然。お金をもらっている人にすべて任せればいい。こういう二元論で生きていたら、何をするにしても損得勘定や打算が先に来てしまう気がします。

件の識者には「おっしゃりたいこともわかりますが、そんな難しい話じゃないですよ」「ゴミを拾う習慣があった方がないよりもよくないですか?」と伝えたいです。

作家として面白い本や文章を書くことでお返し致します。大切に使わせていただきます。感謝!!!