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「生きる」とはどういうことか

改めて確信しました。「ロシアの全ての人がプーチンを支持しているわけではない」と。

そして本当にすごいことです。日本ならまだしも、ロシアの国営テレビでこれをやる勇気が自分にあるかと問われたら。。。

国外へ退避せず、首都キエフに留まってメッセージを発信し続けるウクライナのゼレンスキー大統領も同じです。彼らの意志の力に何も感じなかったら嘘でしょう。

「われわれのウクライナを失いたくない」
「ナチスが、あなた方の偉大な国、イギリスに対する戦いを始める準備をしていたときに、あなた方が国を失いたくなかったのと同じように」
「ロシア軍は堂々と一般の人々やアパートの建物に砲撃していました」
「爆撃、爆撃、爆撃。家、学校、病院への爆撃」
「ウクライナの空を安全にする方法を見つけてください。できるかぎりのことをしてください。やるべきことをしてください」

もし彼が己の保身のみを考えるありがちな政治家だったら、さっさと亡命するかロシアに降伏していたはず。そもそも逆らわずに大人しく支配されていれば、戦争の犠牲者は出なかったかもしれない。でもそれでウクライナの人々の平穏な日常が保たれたとも思えません。待っているのは言葉や自由を奪われ、文化を破壊され、独裁者の影に怯えながら奴隷のように生きる日々ではないでしょうか。

中国やロシアはアメリカとは違います。原爆を投下したアメリカを賛美する気はありません。でも戦後日本における占領体制みたいなものを想定して「降伏した方がウクライナの国民を救える」と考えるのは間違いだと思っています。少なくとも現段階では。

それでも「死ぬよりはマシだろう」と訴える人もいるでしょう。彼らの気持ちも理解できなくはない。でも私は「生きる」という行為にはもう少し違う意味が含まれていると信じています。

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