見出し画像

【子育て】 この道であっている

 

 写真は、息子がこの9月から通うフリースクールの広場。なにか決まった遊具があるというよりも、自分で考えたり、工夫して、自由に遊べる。火も使える、工具も使える。ここが息子の新しい居場所となる。

8月に親子で何回か遊びに出かけた。ものすごい暑さのなか、最後は「帰りたくない!」と言い不満顔をみせる。『帰りにソフトクリーム食べて帰ろう!』と言ったら、やっとシャワーを浴びて着替えてくれた。

 いろんな子供たちの遊ぶ姿を見ていると、みんな瞳が生き生きしている。なんだか時間もゆっくり流れている。笑い声、泣き声が聞こえてくる。走り回ったり、水遊びしたり、ずっと泥団子を作っている子や、もくもくと何か道を作っている子もいる。洞窟に、秘密基地もある。息子も次々と興味あるものにチャレンジしていく。
大人が楽器を吹いていると子供たちが集まっている光景もみかけた。息子もその音の輪に入ってしばらく彼らのそばにいた。結局、1時間以上そこにいて離れなかった。私はそっと離れて、息子の背中を見守った。

子どもを信じようと思った。

  息子は、人から何かを与えられるのではなく、自分から好き・やりたい・してみたい・を見つけて学べる(学ぼうとする)子なんだ、と息子から教えられた。また学びは、自分のペースで行われる。誰かに押し付けられたり、勝手に与えられるのを頑なに拒否していた。

 今日、夏休みが明けの登校日だった。宿題はひとつもやっていない。それよりもぼくは別のことを学びたい、作りたい、やりたい、と行動していた1ヶ月だった。今年の夏休みはどう過ごしたいか親子で話し合い、息子が決めた7つのやりたいことを白紙に自分で書いて、ダイニングの壁に貼っていた。
 結局息子が一番ハマっていたのは・・・小学館neoのクラフトブック。全部で7冊分作った。(恐竜、昆虫、カブトムシ)


今朝「お休みします」の連絡を学校に入れた。
もう二度と学校には行かないのかもしれない。

この先どうなるかは、息子も含めて誰にも分からない。ま、それもいいよね、と、夫婦で微笑む。

それは、本人が決めること。
自分の人生を自らが選択するということ。

どんな環境に身をおき、誰と出会い、
どんな大人から学びたいのか
自分で決めていい。


親として、子どもの先に立つのではなく、
後ろにいてその姿を信じて見守りたい

私たちは思っている。

入学前に撮影したランドセル。
小学校入学をわくわく待ち望んでいた時期。
アースブルーという地球色を表現した、
青のランドセル。
息子の一目惚れだった。
今は押し入れに静かに眠っている。


▼4月〜6月の3ヶ月のこと

 息子が小学校を楽しく?通っていたのは4月の1ヶ月だけでした。5月のGW明けに「学校行きたくない」「先生に合わせることに疲れた」「先生が怖い」「先生が怒っているのがいやだ」と訴えてきて、数日休んだ。その後、6月30日まで嫌々ながらに、頑張って行ってくれた。けれど、それが本当に嫌そうで、これまであまり見たこともない表情をしていた。

朝になると不貞腐れた顔、不満の顔、ときに悲しみの顔。「今日は絶対に行きたくない!」という日も、もちろんあった。私はおおよそ2ヶ月間、毎朝の登校〜教室に送るまでの付き添い、帰りも学校から呼び出しの電話がきた日は迎えに行った。


 息子は勉強は好きと言うし、仲の良い友達もいて、給食もおいしい!と言ってくる。朝はあんな嫌な顔しているけど、帰ってくると笑顔で帰ってくる日が何日もあった。帰ってきたら宿題やって、友達と公園に遊びに行っていた日もあった。

そんな姿も見ていたので「なんで行きたくないの?」と親からすると、何が嫌なんだろう?という気持ちがあった。先生が嫌いという気持ちを抱いていることを、早々と担任の先生に伝えた。先生と息子のコミュニケーションのズレによって起こっていたことで、そのことについて息子に丁寧に説明し、先生も息子に手紙をを書いてくれるなど、パラダイムを変えて息子に接してくれた。
おかげで、先生が嫌いという気持ちもほとんどなくなっていた。


▼息子の心の声

 それでも、やっぱり行きたくない!と訴えてくる。学校と何かが合わない。それは勉強とか先生とか、友達とか給食とか、そういうところではなくて、息子の心と身体で、五感を使って、もっと目に見えない何かを感じているようだった。
息子の声に耳を傾け、話を聞いてみても、それをうまく言葉にできないようだった。


だんだん、それを感じているうちに

学校は、ボクがボクらしく居られない

んだろうなぁ、と
私はうっすらと感じ取っていった。


こう書いているけど、
本当のとことはどうなのか、誰にも分からない。
けれど・・・毎日息子の声を聞いていたある日
そんなことに気付かされた。


▼行きたくない理由

 これは後から知ったことだけれど、親を何とか説得させたり、理解してもらうために「行きたくない理由」をただ言っているだけで、本当は本人も(行きたくない)理由なんてわからないんだ、説明会でようやく分かった。

加えて、行きたくない理由は、一つなんかではないってことも教えていただいた。たいてい複数が絡み合っている。親が想像している以上に、さまざまな理由があることも、このとき知ることになった。

「もう二度と、なんで学校行きたくないの?の言葉をかけるのは、お互いにやめよう」と一緒に参加した夫と確認しあった。


 学校に行きたくない!と子どもが言ってきた時、親は一瞬焦る。不安になる。私もそうだった。それは、自分に仕事があること・責任ある仕事を任されていることが絡んでくる。子どもに毎日家に居られること、仕事に行けなくなるかもしれない、自分の仕事にも影響がでる。困るし、焦る。何とかしたくなる。結果、学校に行って欲しい!という気持ちが強く湧いてくる。


▼共感による傾聴の実践

 7つの習慣でコツコツ学び・実践してきたことが、こういうときに活かされるもので。慌てずに、子どもの声に耳を傾ける、受け止めてやる、共感による傾聴の実践の機会だった。

・子どもの立場にたって、子どもの見ている世界をみようとすること。
・子どもを心から理解しようとすること。
・それは完璧にはできなくてもいい。けれど、努力するということ。


 もちろん、なんでうちの子は他の子と違うんだろう、とか、どうしてあの子は学校行けるのに、うちの子は行けない(行かない)んだろうって、ふとした時に思い悩んでしまう日もあった。
そういう時は夫に相談して、私の気持ちを聞いてもらった。

 夫はいつも「僕は何も心配していない。○○○がどう生きたいかが大事だから」と言ってくれた。あぁ、そうそう、そうだよね、それでいいんだよね。と夫の言葉を聞いては、私はいつも安心して眠りにつくことができた。


▼ひとつの覚悟

 自慢として受け止めて頂きたくないです、と前置きしたうえでお話させていただく。

6月の末にとある子育て講演会に参加した。子どもの居場所をつくっている代表理事の先生に、講演終了後に、私はあれこれこの3ヶ月の出来事のこと、息子の言葉、私の思いを伝えた。その先生が帰り際、遊具があるお庭に寄られて、遊んでいる息子の姿を見てくださっていた。今日の御礼を伝えた時、先生が、遊ぶ息子の姿をじーっとみておっしゃった。

「よい笑顔だ、よく育っている。・・・・お母さん、この才能を潰さないことです。きっと、いい大人になりますよ。」と仰った。

私は自宅に帰ってからこの言葉の意味を噛み締めていた。そして、泣いた。


 息子と関わってくれている、すべての人に感謝の気持ちが湧いた。
息子の人間性を小さい時から理解し関わってくれている、私の母。子ども一人ひとりを尊重し『ありのままでいい』の姿を見守り、子どもと丁寧に関わってくださった幼稚園の先生方。
そして、息子が3歳まで通った子育てサロンの女将さんはじめ、イベントや会で出会った大人の皆さん。息子と遊んでくれた、お兄さんたち、お姉さんたち、仲良しのファミリーたち、私の友人たち。最後に、息子に愛を持って接し、友達みたいな関係になっている夫。
みんなのおかげだな、、と、しみじみ思い涙が出てきた。皆さんによって、息子は育てられている。私もまた、息子によって母として育てられている。

 「お母さん、この才能を潰さないことです。きっと、いい大人になりますよ」私にとってこの言葉は、大変重く深かった。

息子の「僕はこう生きたい!」を、親として信じること。見守ること。その責任が親の私たちにはある。

 私は次の日学校に電話を入れた。先生にこの2ヶ月のご協力に感謝を伝えたうえで、『息子が学校行きたくない、と言っていますので、7月からはお休みさせていただきます』と伝えた。


『明日から、学校行かなくていいよ』
と私は伝えた。
『え、ほんとうに?』と息子が笑顔で言う。

私のもとを離れたあと、とても小さな声で 
『はぁ〜よかった、、』と言っていた。


▼幼稚園に戻っていた7月

 卒園してから故郷として“戻れる場所”があるというのは「心の安心感」になるんだなぁ、と息子を見ていて思った。そして私までもなんだかほっとしていた。園に通うなかで、息子の生き生きとする姿、笑顔、表情を見ていたらそれがすごく伝わってきて、学校から離れてよかったと思ったし、これがあなたの生きる道なのね、と思った。

 いつも通ってい場所、いつも遊んでいた遊具、大好きな先生。いつもそこにあった匂い。空気。一旦元いた場所に戻ることで、心が回復されていくのは本当だとおもう。「ぜひ来てください」と園から声をかけて頂けたのは本当にありがたいことだった。9月以降も「いつでもどうぞ」言ってくださっている。新しい場所に通うけれど、いつでも戻れる場所があるというのは、親子にとっても心強いこと。ほんとうに感謝しかない。



<私が学んだこと>

  • うちの子は「大丈夫」と親が心から信じること

  • この道だけしかないと思わないこと

  • 親のよかれは、子どもの迷惑であること

  • 不登校=学校が嫌いではない

  • 学校に行かない理由は本人も分からない

  • こう生きたい!という欲が、生きる力、学びの力になる

  • 不登校が駄目ではない、むしろ大事な意味のある時間だ、ということ


これが愛情だと子が思うことを
親として与えていく


新しい人生の選択。
君が君らしく歩んでいく道を、
みんな、みんな、応援してくれている。

幼稚園の先生も、学校の担任の先生も。
私の親友や友人たちも、そしてうちの社長も。

見守ってくれている。支えてくれている。
本当にありがとうございます。


この道がきっと、、
たぶん、、って言いたくなるけれど、
この道であっている、と思っている。

私たちはこれからも、
子どもを尊重し信じ続けていく。


長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました! 
感謝。


この記事が参加している募集

#子どもに教えられたこと

32,942件