ぼんくら

たのしくやってこ

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最近の記事

SB

サミュエル・ベケット大好き。 大好きだからさ、大好きすぎるからさ、色んな作品を取り上げて目一杯語りたいんだけど、それは彼と彼の作品への冒涜にもなり得るし、多分1番嘲笑を喰らってしかるべき行為だと思うからね、やめとく。 でも、これだけは言わせて欲しい。 この世の全てがそこにあんだよ。 ワンピースだよ。 ごめんすみません嘘です冗談ですやめて殴らないで でもこれまでもこれからも、サミュエル・ベケットの文学は僕にとってのバイブルであって、ホームでもある。(こんなこと作者本人に伝え

    • Z-Z

      いつからだろう。 「絶対」恐怖症になってしまった。 白黒つけるのが恐ろしくてたまらない。 なるべく溶かしていたい。なんでも。 あの時本当は悲しかったのかもしれないけど、そうでもなかったのかもしれない。 不幸だ。いや、でもまるきりそうというわけでもないかも。 あの時の言葉は本当だった。でも本当じゃなかった。 僕は僕かもしれないし、僕は僕じゃないかもしれない。 生きてるかもしれないし、死んでるかもしれないし、そもそも何もないかもしれない。 けど、差し当たりはそれにクエスチョンマー

      • ぼくとしんしょ

        電車の中でよく見かける新書の広告。 新書アレルギーの僕には非常に耐え難いものがある。 ※世にいう新書と僕が以後用いる「新書」とはやや乖離してるかもしれないから、あえてここで僕なりの新書の解釈を述べさせていただくと、主にビジネス新書とか自己啓発本とか呼ばれる類のアレだ。 たっぷりとした紙幅に反してまばらな文字。余白の美とは言ったものだけど。高級なおフレンチの盛り付けなんかだったらよく映えて見えるだろうが、新書のそれは見栄えはともかく内容が伴っていない。味が薄すぎるし雑味が目立

        • ふぁいあ

          まじで忘れ物・無くし物が絶えない。 だって興味ないものってなかなか意識できないじゃん。 そりゃ多少努力はしてるさ。 なんかチェックリスト作ってみたり。 決まったところに決まった物を入れる習慣を作ったり。 貴重品はあまり持ち歩かないようにしたり。 ってしてるつもりなんだけど、 それすら忘れてることが多々あるんだよな。わかる? 思うにね、 世の中物や情報が飽和状態になってっからね、 全部全部意識しようってのは無茶なんだよな。 特に僕みたいなぼんやりには大変酷な話だと、 そうは

          しーもあぐらーす

          恥ずかしながら、自分の書き溜めた雑記を読み返すのが結構好きだ。(※自己陶酔で吐き気を催させてしまっていたなら、なんだかいたたまれないので速やかにこのページを立ち去って欲しい。) いや、違うんだ。いや違わないけど。 まあでもちょっと言い訳させてもらうと、自分の思考回路の変遷を辿れるのが、おもしろいんだ。 ああ、多分これあの本読んだあとに書いたな、とか、あの映画の影響モロに受けてんな、とか手に取るようにわかってキモカワイイ〜ってなるのだ。 でもマジな話、自己内省は生きて行くにあた

          しーもあぐらーす

          あいせいはろー

          言っておくが、僕はあなたがた同様に人にちやほやされるのが大好きである。ただし、僕を見て!褒めて!ってするのはなんだか浅ましいし滑稽な気がするので(もうお分かりだろうけど僕は某コンクリートロード野郎なんて比にならんほどヤナヤツなのだ)あまり自分から何かを発信するということはしない。 とはいえ、全くアピールしないわけには僕だっていかない。自分一人じゃやりきれねーよって時もあるじゃん? 思うに、大多数の人間がこぞってSNSやら何やらで自分を曝け出すのは、そうでもしないと「自分」

          あいせいはろー

          えびかにいかたこ

          常識は身に付けなくても良いと思っているが、わきまえた方が良い、とは思う。 偉そうな出だしだが、まあちょっと言わせてくれ。 僕は元来常識というものが本当にわからない人間だった。 「普通さあ、」 「みんなそうしてるじゃん」 「なんでわかんないの?」 「そんなの当たり前でしょ?」 などなど。ありとあらゆる人からありとあらゆるご指摘を賜り、僕は面食らってしどろもどろするしかなかった。 今はジョーシキのジョーギを手に入れたので、場面によってそれを取り出して「フムフム、マアコンナモンカ

          えびかにいかたこ

          わごんあーーる

          赤の他人が交わしてる会話っておもしろい。というより、僕が無意識に張ってる好奇心アンテナに引っかかった言葉だけが取り込まれるわけだからおもしろくないわけないんだけど。今日は電車待ちの列で前にいた女子大生2人の会話で「あたし勉強すると頭痛くなっちゃうから」って聞こえてきた。この屈託のなさよ。朝露に濡れた白い躑躅が咲き乱れるイメージが咄嗟に浮かんだ。 それからこれはだいぶ前だけど、西欧人と思しき二人組。男性の方から女性の方に向けての言葉。”we’ll get home when t

          わごんあーーる

          ゆめ

           どろどろとした感触が体中にいきわたった所で意識が芽生えた。目を開けると首から下まるまる、その不快感の正体であったらしい液体の中に浸かっていた。よく見ると元はキューブ状だったらしいなにかの溶けかかったものがそこら中にぶかぶか浮いたり沈んだりしていた。そして何やらくさい。非常にくさい。このツンとした匂いとこの情景からしてどうやら広大な胃液の中に私はいるらしい。  「人間は消化に時間がかかるらしいわ。」 声に導かれるまま顔を横に向けると私と同じくして首の下まですっかり胃液に浸って

          ぺーいぺいっ

          夢なんじゃないかってくらい幸福感に満たされることがときどきある。夢であってほしいってくらい絶望感にさいなまれることがときどきある。恐ろしいのはそれらが一つの状況下で全く同時に起こる感情ということだ。 表裏一体とは言ったものだけど。

          ぺーいぺいっ

          ホームズの見解

          たとえば、音を発するとしよう。 ディスコースに沿って音は反復、増幅、縮減を繰り返しながら伝播していく。 そうは思わんかね、ワトソン君。 地球の、この銀河の、果ては宇宙の見る走馬灯に、 我々は過ぎんのじゃないかね、ワトソン君。 そうして瞬間は引き延ばされ、ゆえに永遠は瞬間に閉じ込められて 無限に収縮を繰り返す枠の中を 我々は彷徨っているんじゃないのかね、ワトソン君。 私はね、ワトソン君、 見ると見られるのあいだ、 少し開いた障子の間隙にこそ 光はさすのではないかと思うのだ

          ホームズの見解

          ミクトランテクトリ!

          ウィチロポチトリ! 無数の声は文字が投げた網の合間を途端に擦り抜けて壊れて散らばる。言葉は役立たずどころか言おうとしていたことさえもヴェールで包んでうやむやにしてしまう。きっとヴェールを剥がしきる頃には中身がすり替わっているか、すっかり腐りきっているかしてしまっていることだろう。とにかく許せないのはそんな信用ならないものを使って絶えず何かを語ろうとしなければならないということだ。とはいえ誰かから語れと命令されているわけではない。では何故語ろうとするのか。それはただ単に日々自

          ミクトランテクトリ!

          かに

          書いては消して書いては消して。 葬り去られた言葉は何処へ。 随分と暑くなりましたわね。 道を歩いてると、こう 蝶々なんかがひらひらと舞いますでしょう。 その影が数歩先のアスファルトにね、 揺れてるんですの、 陽炎のせいもあるのかしら。 それでね、あたくしは日傘からちょいと 覗き込むようにしてね 影の持ち主を探そうとするんだけども 実際にはしないの。 だって日傘無しの太陽は あまりに眩しくてね 肌が全部焼け焦げちゃうんじゃないかって あたくし心配ですの。 結局道に落ちてた

          ぺにんすら

          度々変な夢を見る。 頭部が恐竜だか爬虫類だかで、首から下が魚類のトンチキなペットを飼ってる人の話とか、手に取れる物なら何でも丸呑みにして、しまいには胃袋が裂けてしまった女の子の話とか。 そんな中でも忘れ難い夢がある。正確に言えば、耳にこびりついてしまった音がある。 「産まないで」 っていうヒステリックな声。多分持ち主は女性。 紛れもなくその声によって眠りから引き剥がされたから、その後ストーリーは続かないんだけどその前の話の展開は確かこんな感じ。 自分はとある戦場に来ている

          ぷみょぬ

          言葉が嫌いだ。 言葉って分類箱に他ならないわけじゃん?それにしても作りが雑すぎる。何でも入るし何にも入らない。 僕は人と話してると言葉足らずだって言われることがしばしばある。どうせ言葉が何にも言い表してくれないんだとしたら(この表現もどうかと思うけど)極力何も言いたくないっていう僕の気持ちが反映されてしまっているらしい。 じゃあなんで今こうして文章を綴ってんだって話だけど、この問いこそ僕が追求したい謎なんだ。解明することは多分できないって本能的に知ってんだけど、追い続ける

          あい

          昔からごめんなさいって言うのが苦手だ。 ごめんなさいって結局自分の罪を許してくれご免こうむってくれって相手に懇願する行為にすぎなくね?って思ってしまうんだよなあ。 そもそも罪ってなんなの? その基準って誰が作ってんの? 何故人は謝罪という儀式を律儀にこなすんだろう。一度起こったことは帳消しにはできないのに。 大体の場合、こういったことを人に訴えると相手は腹を立てるか全く取り合ってくれないかのいずれかである。こちらはごくごくまじめに話しているにも関わらずだ。 まれに真剣に僕