えびかにいかたこ

常識は身に付けなくても良いと思っているが、わきまえた方が良い、とは思う。

偉そうな出だしだが、まあちょっと言わせてくれ。
僕は元来常識というものが本当にわからない人間だった。
「普通さあ、」
「みんなそうしてるじゃん」
「なんでわかんないの?」
「そんなの当たり前でしょ?」
などなど。ありとあらゆる人からありとあらゆるご指摘を賜り、僕は面食らってしどろもどろするしかなかった。
今はジョーシキのジョーギを手に入れたので、場面によってそれを取り出して「フムフム、マアコンナモンカ」つって適当にやりすごすことができるようになったけど、だからといって常識という概念にサムズアップな訳では決してない。否、誠中指極まりなしである。
より正確に言えば、常識という暴力でぶん殴ってくるような奴がどうしても好きになれないのである。
地球っていう狭いとこでひしめき合う我々だから、まあそりゃ共生していくにあたって多少の擦り合わせは必要なのだと思う。例えば、他人の所有物を奪わないとか、互いの命を脅かすような真似をしない、とか。そういったことを諒解しているからこそ、人間社会は成り立つのだろう。
かと言って、必ずしもこう在らねばならない、という規定を大々的に掲げるのはナンセンスじゃなかろうか。
こと、この国においては、少しでも周りの人間と「異なる」とジャッジされるやいなや村八分にされる傾向が強いように思われる。というより、渡る世間はジャッジばかりなのである。出る杭はよってたかって打たれ、しまいには砕かれる。強風の吹き荒む中、どうして我々は立っていられようか。
繰り返すようだけど、常識は円滑な「人間生活」を送るために必要だってことは理解できる。問題は、そいつを使ってこちらを抑えつけようとしてくる奴らがいるってことなんじゃないかしら。僕は暴力が大嫌いだ。暴力的な輩には積極的に抗ってやろうと思う。
でも、そういう手合いに真っ向から勝負を仕掛けるのはあまり賢くない。てか無謀だ。それこそ袋叩きにされて犬死にの未来が見える。
だから、今は常識を「わきまえ」て、一旦は奴らに合わせてやっても良いんじゃなかろうか。そうして、非暴力しーくれっとえーじぇんとになってくれる仲間をかき集めて、でっかい声で異議ありを申立てようではないか。

これを読んでくれてる「あなた」がいるなら、一緒にどうですか?
ゆるりと世界転覆。
世界征服じゃないよ。
世界転覆。

僕はただ偏りが気になってるだけ。
バランスとってこ


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