ゆめ

 どろどろとした感触が体中にいきわたった所で意識が芽生えた。目を開けると首から下まるまる、その不快感の正体であったらしい液体の中に浸かっていた。よく見ると元はキューブ状だったらしいなにかの溶けかかったものがそこら中にぶかぶか浮いたり沈んだりしていた。そして何やらくさい。非常にくさい。このツンとした匂いとこの情景からしてどうやら広大な胃液の中に私はいるらしい。
 「人間は消化に時間がかかるらしいわ。」
声に導かれるまま顔を横に向けると私と同じくして首の下まですっかり胃液に浸ってしまっている女性が諦めたような、この情況を楽しんでいるような顔でこちらに向かって話しかけていた。私は無我夢中で女性に向かって胃液をかき分けていった。胃液の中にただ一人放り出されて死ぬよりは誰かと一緒にいたかったのだと思う。
「あの、やっぱり死ぬんでしょうか。」
口に出してみたとたん言葉は支離滅裂に聞こえた。実際そうだった。
 女性は黙ってうつむいたと思うと突然みるみるうちに巨大化した。これまた無茶苦茶な話に聞こえるかもしれないが本当のことなのだ。そして女性はその大きくなった口で胃液を吸い込み始めた。私は胃液を保っていた空間の端と思われる一部分をつかんで必死で吸い込まれまいとした。すると今巨大化しているはずの女性がもう一人元の大きさで現れて私の体をつかんでいるではないか。そんな無理な話を気にする暇もなく私はとにかく無我夢中で壁にはりついていた。
 と、突然女性の吸い込みが終わり、一気に胃液が押し戻してきた。私たちは奥?に追いやられ、突き当りだと思っていたところが実はるつぼであったことに否が応でも気づかされた。私たちはどんどん奥底に落ちていった。しばらくとしないうちに何やらすずりのような質感の棺桶のようなものが下の方に見えた。その蓋には何か二文字の漢字が記されていたようだったが、私はその漢字が読めなかったのか、とにかく思い出せなかった。その様子に気づいたのか例の女性がすかさず
「あれははざまだよ。」
と言ったのが脳内でこだました。
「はざま」
って何のですか、などと聞く間もなく自分がその棺桶の中に入っていたことを悟った。蓋は開いていなかったのにどうやって中に飛び込むことができたんだろうという疑問は不思議と起こらなかった。
 中は薄暗かったが目が慣れるにつれてだんだんと色んなものが見えてきた。まずわかったのは全面薄ぼやけたピンク色のタイルで覆われていたこと。そしてそのところどころに鏡が大小こもごもな形で不規則に配置されいたらしいこと。それからいたるところに階段のような段差があって、迷路のような路地がたくさんあること。しかしあの女性は見当たらない。
 私は恐怖に苛まれながらも、いや恐怖に苛まれていたからこそ誰か同志を探すべく空間を歩き始めた。はじめの曲がり角の先にドアがあったので恐る恐る開けてみたが、私の期待とは裏腹にそこにあったのは一つの大きいスクリーンと何個かの便器であった。
「だれか、だれかいませんか?」

 フィクションの世界でしか使われることは無いと信じていたフレーズが自分の口から飛び出すなんて滑稽だ、と思ったところでふいに意識が戻った。時刻は夜明け前の三時を過ぎていた。その時本当に私が夢から覚めていたなら。

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