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鏡の友人【ホテルエルシエント京都@京都駅】(1/2)

 普段はあまり他人と自分を比較することが無い僕でも、あらためて他人を通して自分自身の理解を深められる出来事があった。それは、決して安くはない金額の費用を払って、某有名企業が主催するライティング講座に通っていたというライターに初めて仕事を依頼した時の話だ。
 その方はフリーランスのライターとして独立してから2年ほど経過したらしく、やる気を感じることができ、僕よりも年齢を重ねていて意思疎通も円滑だったために信頼していたのだけれど、いざ仕事が始まるとボロが出始めたのである。僕の中では「あの講座に通っていたし、ある程度の経験を積んでいるライターならこのくらいできて当たり前だろう」と考えていた基準が、どうやらその方にとっては非常にレベルの高いものだったらしく、明らかなスキル不足が露呈したのである。

 ただ、僕はその方の経歴を事前に聞いて信頼していたし、その方自身も自分にとっての基準をもとに想定して僕から案件を受けていたので、お互いにこのような事態になるとは思っていなかっただろう。この時点で誰が悪いのかを明確にしなければならない理由はない。やると決まったのであればやるまでだ。
 とはいえ、僕には気になったことがある。それほどの社会人経験と経歴を持ったライターでさえ、(僕にとっては)アマチュアとなんら変わらないライティングスキルしか持ち合わせていないのだ。そして世間一般におけるライターの ”基準” とはいかがなものなのかと疑問を抱き始めたのである。
 僕は普段、ほかのライターと具体的に仕事の情報交換をすることは滅多にないだけではなく、周囲のライターの仕事事情についてはSNSで繋がっている身近なプロライター仲間から受動的に収集していただけだったために、いわゆる一般的なフリーランスのライターのスキルや仕事へのスタンスについて知る機会がなかったのだ。

 そこで、そのライター本人に現状の課題を説明した上で、周囲にどのようなライターがいるのか、普段どのようなライターと情報交換をしているのかを質問したところ、僕が求める「ライターの基準」はその人にとって高いわけではなく、一般的なフリーランスのライターの基準からしても高いことがわかったのである。
 逆に考えると、僕が仕事で当たり前のようにやっていることが、同業者から見ると高いレベルであったということだ。ここで僕は初めて、自分の立ち位置を理解できたのだった。どうりで独立してから仕事に困ったことがないわけである。

 そんなある日、僕は仕事で京都まで出張に行く予定ができ、現地で友人と数年ぶりの再会を果たして飲みに行くことにした。12月27日(月)の天気は全国的に荒れていて、雪の影響もあり予定よりも到着が遅れてしまったが、友人は快く歓迎してくれたのだった。
 その友人の行きつけの居酒屋で楽しくお酒を飲んでいると、最初はくだらない話で盛り上がっていたものの、いつしか自然と仕事の情報交換をするようになっていた。その友人も会社を経営していて、アパレル関係の事業に携わっていたのだが、新しく立ち上げたブランドがどうも期待よりもうまくいっていないらしい。
 その相談に乗りつつ、僕も自分が仕事で困っていることがあると伝えたところ、突然その友人の目が輝き始め、「それなら昔やったことあるし相談乗れるで」と言ってきたのである。
 僕はその友人がその分野の経験者であることを知らなかったのだ。それだけでなく、その友人も自分が他の人よりもその分野について知識と経験を持っていることを自覚していなかったのである。その友人にとっては ”たいしたことのない当たり前の常識” が、僕にとっては貴重なノウハウだったのだ。それはまさに僕にとっての「ライターの基準」そのものだった。

ーー自分の強みは自分では気付きにくいものなのかもしれないな。

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 ホテルの部屋に戻った僕は、翌日の仕事に備えて部屋のシャワーをさっと浴びてから床に就いた。

(written by ナオト:@bocci_naoto)

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