映画「生きる LIVING」を観て
5月18日「生きる LIVING」という映画を観た。
原題は「Living」。2022年のイギリス映画で、オリヴァー・ハーマナス監督の作品だ。
キャストは、ロドニー・ウィリアムズ役のビル・ナイ、マーガレット・ハリス役のエイミー・ルー・ウッド、ピーター・ウェイクリング役のアレックス・シャープなどである。
あらすじは、
といった内容。
で、観終わっての感想。
人が生きる意味は、何なのだろう
とてもいい映画だった。展開や内容は地味であるが、ボクの心の中にはグッと入り込んできた。
主人公のロドニー。年齢的にもう仕事もあとわずかであろう。本当にある意味かたぶつなくらい波風を立てずに、無難に役所の中で働いてきたのだろう。もし彼に、がんが宣告されなければ、その人生はさざ波のように、静かだったのかもしれない。
「生きる」という意味を考える余地さえなかった人生に思える。
有限な命の時間がわかると、人は気づく
医師から余命半年と告げられた彼。
そこからの人生は、まさに「生きるということに気づいた人生」のように思える。
ロドニーは、有限な命の時間を知ったとき、生きるという意味を彼なりに解釈したのかもしれない。
しかしながら、彼に残された時間はわずか。
そのわずかな時間を、彼は一つの案件に全力を傾けるのである。
彼が選んだのは、家族との時間ではなかった。
今までの生き方を変えたのだ。
それが彼の生きるという選択肢だったように思える。
余命を息子にも知らせなかった意味
余命が半年の宣告を受けたことを、息子にも話さなかった。
会社の部下のマーガレットにだけ打ち明ける。
映画の中で、「息子は可愛いが彼には彼の人生がある。」と言っている。それは本心であるとは思うが、それだけではないとボクは思った。
彼は、マーガレットを、人として信頼していたからではないだろうか。
そして、ピーターにも進展で手紙を残した。これも同じ理由だった気がするのだ。そこには年齢差など存在しない。人として、そして未来を託したい信頼できる若者に対して、気持ちを伝えたかったのかもしれない。
誓いを立てても、変わらなかった部下
ロドニーの直属の部下が、彼の死後に課長職になる。
ロドニーの葬儀を終えた列車の中で、部下たち4人は、ロドニーの残した生き方を受け継ごうと決意する。決して仕事を先送りしないことをである。
しかし、それもその時だけで終わる。
次第に以前の姿になってゆく部下たち。
ピーターだけが、その姿を冷静に見ている。
ロドニーはそれを見越して、ピーターに手紙を送ったのかもしれない。
「若い君は、そのようにはなるな」と。
この映画を観て、黒澤明監督の「生きる」を観たくなった。
近いうちに、必ず観たいと思うのだ。
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