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幼少時の記憶や父母祖父母から聞いた話を中心に。書き残しておかないと忘れてしまいそうなの…

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幼少時の記憶や父母祖父母から聞いた話を中心に。書き残しておかないと忘れてしまいそうなので。

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最近の記事

ナショナル麻布スーパーマーケット

ナショナル麻布スーパーを初めて知ったのは,仮面浪人していた18歳のとき。受験勉強する場所を求めて近所の図書館に行ったものの,自習室は争奪戦で開館前に並ばないとダメ。友人が都立中央図書館で勉強していると聞いて,仮面浪人している大学の定期券の範囲だしということで行ってみた。 ちなみに,定期券は恵比寿までが範囲だったので恵比寿から20分徒歩。 都立中央図書館の最寄駅は広尾。広尾駅で降りて,有栖川記念公園に行く手前にあるのがナショナル麻布スーパー。外国人向けの,輸入食品を扱うおしゃれ

    • タンタンの冒険

      こどものころ、長期休みになると旅行に行った。たいていの場合、父の会社が所属している健康保険組合の保養所に泊まった。 保養所には応接セットのそろった大広間があり、テレビと新聞、そしてこどものために児童書がそろっていた。 そこに行くたびに「タンタンの冒険」シリーズを読みまくった。 原作は戦前のものもあるのに、当時とてもおもしろく読んでいた。 調べたら、1980年代に一気に翻訳出版がすすんだみたい。 タンタンが外国にでかけていって冒険をする(宇宙に行く話もあり)ので、インディージョ

      • どういう信念で子供を育てているか/どんな子供になってほしいか

        スクールカウンセリングをしたり,発達相談したり,こどもの発達にかかわる人たちと話しているとたまに聞かれる。 どんな子供になってほしいですか。 どういう気持ちで子供と向き合っていますか。(日々ね) 聞かれていつも「うーーーーーん」と悩んでしまう。自立してほしいとか,自分のことは自分でできるようになってほしいとか,しごく当たり前な回答を捻り出すことしかできない。 だって具体的な「本人の生活状況」とか聞かれた後に,突然そんな漠とした質問されるし。飛躍しすぎだろ。そもそも,子

        • レーズンバターの記憶

          もう何年も口にしていないけれど,レーズンバターが好きだ。 幼少期,家に父がお客さんを連れてくると,お酒のお供に出たのがレーズンバター。器に氷を敷いて,切ったレーズンバターを並べる。 その時しか出てこない,特別な食べ物だった。 このレーズンバターが私はとても好きで,残ったら確保して食べていた。 パンに塗るためのバターをそのまま食べる背徳感。 大人になって,家を出てからふとスーパーで見かけて買ってみた。 バターの油とレーズンの甘さが重たくて,昔ほど特別感を感じなかった。 昔は

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        • りょすけ
          1本

        記事

          いつも同じ話をする先生

          長女と話していて思い出したこと。 いつも同じ話題をする先生がいるので,授業じゃなくてその話しか覚えていないよ,と長女が愚痴を言っていて思いだした。 大学1年のドイツ語の先生。私はドイツ語既修者だったので,その授業の大半は2年生が受けていて,私の他の一年生は付属校出身の数人くらいだった。 40代くらいの男性の先生だった。毎回必ずする話があった。「ホイリゲ」のこと。ドイツのワインの新酒を指す。ドイツに留学していたときの話は決まってこのホイリゲだった。 ワイン新酒での収穫祭

          いつも同じ話をする先生

          ジャガイモ掘り

          夏になると,毎年秋田の祖父母の家に行っていた。祖父母と伯父は基本稲作農家で,田んぼにはほとんど連れて行ってくれなかったけど,畑もいくつかもっていて,そこにはよく連れて行ってくれた。 自家消費だけでなく,農協に出すくらいの農作物は作っていた。夏に取れるのはジャガイモ,カボチャ,など。 中型トラックででこぼこな農道を通って畑に向かう。鍬や鎌を除けて荷台に乗るのが楽しかった。めちゃ揺れるけど風が気持ちいい。 畑は広大。伯父さんがさくさくジャガイモを掘りおこしていく。こちらは,

          ジャガイモ掘り

          山菜採り

          20年以上前,まだ秋田の祖母が元気だった頃,毎年GWに秋田に滞在していた。ちょうど山菜のシーズンで,毎日食卓に山菜が出た。 祖父も祖母も山菜を採るのだが,祖父は農作業のついでにソロ行動をしていた。祖母に一緒に取りに行きたいとお願いして何度か連れて行ってもらったことがある。山菜の採れる場所は「ばあちゃんの秘密の場所がある」とかで詳細は家族もよく知らないようだった。山間部の正確な位置情報なんて教えづらいだろうし。 祖母は若い(?)頃,祖父の耕運機にひかれて以来腰が曲がっている

          日曜市

          秋田の祖母は,毎週日曜日に「市」に行っていた。出店者として。 自宅から10キロほど離れた隣町(自宅は町,隣町は市の中心部)の公園のようなところで,地面にシートを敷き,フリーマーケットのように店を広げる。 お店を広げていたのは30年程前は10数店ほどだったと記憶している。そこそこにぎわっていた。その後,大人になってから訪れたが,お店の数も減って,淋しくなっていた。 私は夏休みにしか訪れたことがなかったけど,お盆の中日じゃなければ市は立っていた。 祖母が夏に売っていたのは

          ロックの思い出

          私の実家は二世帯住宅として1960年代に造られた。私が産まれたころ,その家には父方の祖父母と伯父一家(伯父,伯母(後妻),先妻の子である長男,後妻の子である次男)が住んでいた。次男は私と産まれた年と月が同じだった。 伯父の家ではロックという名の柴犬の雑種を飼っていた。私がものごごろついた時には,ロックは威厳をもって存在していた。柴犬だけど,当時の私にとっては秋田犬くらいの大きさと脅威の存在だった。吠えるし。 私の一家(父,母,私,弟。末の弟はまだ産まれていない頃)は同じ敷

          ロックの思い出

          農家の祖父の話

          父方の祖父は消防官で「東京の火消し」をしていたので戦争に行かなかった。 母方の祖父は東北地方の農家の跡取りだったけど,戦争に行ったらしい。行って,帰ってきた。東北出身者は激戦地に送り込まれたと聞いたことがあるけど。母方の祖父母からは戦争の話は一つも聞いたことがなかった。 祖父は身長180cmほどの痩せ形で,彫りの深い,若い頃の写真がめっちゃイケメンだった。当時農家の人はほぼ煙草を吸っていて,祖父もオレンジ色の箱の「エコー」をよく吸っていた。セブンスターだったこともあった。

          農家の祖父の話

          東京消防庁第一方面本部長だった祖父の話

          祖父は東京の消防庁第一方面本部長だった。 消防庁の第一方面本部長というのは,消防庁長官の次くらいにえらい,と小さい頃父に聞かされた記憶がある。大人になってから考えると,消防庁(国)と東京消防庁(都)って違う組織じゃん,って思うんだけど。 東京消防庁は,地域ごとに10個くらいの区分けがされていて(方面),第一は千代田区とか中央区とか港区とか,ざっくり行政の中心が含まれるところ。 祖父は,明治生まれで,たぶん新潟の小千谷あたりに生まれて,なぜか栃木にもルーツをもち,その後,

          東京消防庁第一方面本部長だった祖父の話

          関東大震災の話

          今日は関東大震災から97年の日だそう。大正元年生まれの父方の祖母が元気だったころ,関東大震災の話を聞いたことがある。 父方の祖母は,江戸時代から東京の東の方で八百屋をやっている家の長女だった。江戸時代も,関東大震災のときもどこにいたのか知らないけど,祖母の実家は私の小さい頃は小松川(江戸川区)にあって,祖母の兄が八百屋をやっていた。 ちなみに,祖母の兄は90近くまで元気に生きた。 祖母は関東大震災当時,女学生だった。関東大震災のとき,「上野の山に逃げた」と言っていて,そ

          関東大震災の話

          位牌堂の話

          夏になったけど,今年も秋田に帰れない。 といっても私の実家ではなく母の実家だけど。2016年に帰ったきり。 私は秋田の祖父母の家が大好きで,どんなに好きだったかというと,親の帰省で連れて行かれた幼少期から,大学生,社会人になっても一人で(もしくは母や家族と)帰省していたくらい。結婚して子供が生まれてから頻度は減ったけど,祖母が生きているときは2年に1度はひ孫を連れて帰省していた。祖母も10年近く前に亡くなり,伯父夫婦も高齢になり,なかなか気軽に行けなくなった。 北秋田の

          位牌堂の話

          サザエさんの買い物かご

          幼少児,母は買い物かごを使って買い物をしていた。当時,レジ袋とかあったのか記憶がない。紙袋だったのかな。サザエさんがもっているような買い物かごで,みんなパーマを当てて,スカートにエプロン。当時の写真をみるとほんとにサザエさんで,誰が誰だかわからない。 魚屋さんで魚を買い,肉屋さんで肉を買い,八百屋さんで野菜を買った。それらが一緒のビル(といっても平屋)に入った商店もあった。 スーパーマーケットもあった。スーパーマーケットにも買い物かごを持って行っていたと思う。 去年,魚

          サザエさんの買い物かご

          火垂るの墓

          長女が3年生になり,先日,図書室でジブリのアニメ絵本(といっても映画を題材にした長編漫画のようなもの)で「火垂るの墓」を途中まで読んだから続きが読みたいという。学校の図書室からは持出厳禁図書に指定されているらしい。 「原爆でお母さんが死んだところまで読んだ」というから,けっこう最初じゃん,それ。超こわがりの娘,むしろ最後まで読まない方が幸せなんじゃないかと思いつつ,自治体の図書館で調べて借りてくる約束をする。 火垂るの墓,といえば,思い出すのは超満員の映画館。当時,指定席

          火垂るの墓