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東京消防庁第一方面本部長だった祖父の話

祖父は東京の消防庁第一方面本部長だった。

消防庁の第一方面本部長というのは,消防庁長官の次くらいにえらい,と小さい頃父に聞かされた記憶がある。大人になってから考えると,消防庁(国)と東京消防庁(都)って違う組織じゃん,って思うんだけど。

東京消防庁は,地域ごとに10個くらいの区分けがされていて(方面),第一は千代田区とか中央区とか港区とか,ざっくり行政の中心が含まれるところ。

祖父は,明治生まれで,たぶん新潟の小千谷あたりに生まれて,なぜか栃木にもルーツをもち,その後,東京で消防官になった。

東京の火消しをやっていたので,戦争にいかなかった,というのはよく聞いた。東京大空襲のときとか,何してたんだろう。よく生きてたな。

父の記憶の限りでも,戦後は23区内で転勤を続けて,方面本部長になって,55歳で退官となって(当時は普通),天下りして,2,3社勤めて無事60歳で定年となった。

祖父母の部屋(当時二世帯住宅だった)には,たくさんの国からの賞状が鴨居にかけられていた。菊の印があるやつ。ちなみに,母方の祖父は農民だったけど,町議会議員を長年やったので,やっぱり鴨居は賞状だらけだった。おじいさんという人は賞状をたくさんもらうのだ,という認識を私はもっていた。

子供には厳しかったそうだが,孫には甘かった。私が1歳を過ぎてから,当時69歳の祖父は毎日私を自転車で連れ出してくれた。近所のあらゆる公園にいったし,自転車で30分はかかる大きな都立公園とかにも連れて行ってくれた。1,2年して,祖父が癌になったので,私の弟たちは祖父と自転車で出掛けることはなかった。

当時,いとこの兄弟が祖父母と同居していて,私の家族は隣の家に住んでいた。私と同い年のいとこもいたんだけど,彼らと出掛けず,三男の第一子である私と毎日出かけていたのが今さらながら不思議。好意的に考えると,私には年子の弟がいるので,身重のうちの母,または新生児のお世話が大変そうなので手伝ってくれたのかもしれない。

とにかく毎日連れ出してくれて,おむつがぐっしょりになって帰ってきた,と母は今でも言う。



祖父は癌と闘って,私が4つの時に死んだ。73歳だった。消防庁を辞めて10年以上経っているのに,葬式にはものすごい数の人がやってきた。

小学生になって,一人で自転車で出掛けるようになって,祖父と一緒に行った公園をいくつか見つけて喜んだ記憶がある。


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