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農家の祖父の話
父方の祖父は消防官で「東京の火消し」をしていたので戦争に行かなかった。
母方の祖父は東北地方の農家の跡取りだったけど,戦争に行ったらしい。行って,帰ってきた。東北出身者は激戦地に送り込まれたと聞いたことがあるけど。母方の祖父母からは戦争の話は一つも聞いたことがなかった。
祖父は身長180cmほどの痩せ形で,彫りの深い,若い頃の写真がめっちゃイケメンだった。当時農家の人はほぼ煙草を吸っていて,祖父もオレンジ色の箱の「エコー」をよく吸っていた。セブンスターだったこともあった。お酒はあまり飲まず,たまにパチンコに行った。
歳をとってから,健康のため?マイルドセブンを吸うようになった。あまり変わらないのでは,と私は思った。
私の父方の親戚は,知る限り誰もパチンコに行かないので,初めてパチンコ屋に入った時は,そのうるささにびっくりした。祖父は,めったに上京しなかったけど,記憶にある限り,上京時にも東京のパチンコ屋に行っていた。
秋田の小さな集落の米作り農家で,集落の中ではリーダー的な家だったと思う。なので,25年近く町議会議員も務めた。
祖父母の家の鴨居には議員を長年務めたことや,農協の何かに貢献したことによる賞状がやたらたくさんかかっていた。
不平不満を言わず,米作りをしていた祖父だったが,減反政策については私にすら不満を漏らしたことがあって驚いた記憶がある。
祖父は2006年に亡くなった。肺・呼吸器系の疾患で,ちょっと入院してもうすぐ退院すると言われていたのに,退院直前で死んでしまって,びっくりした。当時,祖母のほうが認知症の症状が出始めており,不調だったのでなおさら驚いた。
働いて,働いて,ずーっと働いて,入院する直前まで農業をやっていた。
祖父の秋田弁は相当なまっていて,夏休みに遊びに行って1週間程度はあまり会話が通じない。1週間くらい経つとこっちも耳が馴染んでくるものだった。次世代の伯父伯母たちとは全く違うしゃべり方だった。こちらが十分に秋田弁を修得していれば,もう少し色んな話ができたのかもしれない。
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