数学とは「未来への哲学」である。





現在いったん物理のお勉強を中断して数学に没頭している。

ここまで物理のお勉強をしてきて

「これはどーも微積分がいる」

と直感で思ったので微積分の復習をしてたんだけど

復習し始めたら止まらなくなって

「どーせ復習するんだからここは徹底的にやろう!」

となってる。

微積分でやたら三角関数が出てくるので三角関数の復習をしてたら

思いがけず過去の東大入試問題にぶちあたるという

嬉しいハプニング付き!

一流大学こそ根幹の部分を聞いてきやがる。さすがだなーって思った。

で、今証明の真っ最中。

物理は「超現実主義」なので現実に起こり得る範囲で想像力を使うけど

数学は「現実どっかで役立っているけど何に役立っているかわからない」

ので、物理よりも現実的なところでは想像力を及ばせるには限界があって

紙とペンを使って

「非現実世界」にワープしないといけなくなる。

数学フリークとしてはそのワープ瞬間に猛烈に嬉しくなる。

「おーー、きたぞーきたぞー」ってカンジ。

よく数学者には奇人変人が多いっていうけど、あの理由わかる。

だって、いっつもワープして非現実世界のことばっかり考えてるんだから

頭の中は現実世界にはいないわけで

そりゃーー現実世界の住人からしたら「頭のおかしい人」になる。

でも、数学フリークとしては

数学者としての揺るぎないプライドと狂わしいほどの苦悩が見事なコントラストをなし

その暁に出来た<定理>と<証明>には思わずため息が出てしまう。

どうしても美しいと思ってしまう。

たった一行の<定理>を証明できるまでに10年かかるのはザラで、

スマートな証明であればあるほどその裏の苦悩が垣間見える。



個人的には

数学というのは「未来への哲学」だと思っている。

非現実世界といっても、今の現時点では非現実っていうだけで

100年200年後に、今一見なんの役に立たない<定理>であっても

それが応用されてそれこそ物理の分野だとかほかの自然科学の分野で

発展を遂げて目に見えるカタチとして残る可能性が十分にある。

そして、その定理の<証明>もまた他の分野での応用されて発展する可能性がある。



一般的に哲学というのは、価値観・思考を論法と言葉にして表す。

そこにその論法を説いた人間の感情や思想が表れやすく

言葉だから読んだ人間がそれが想像しやすく感情移入しやすいというだけで

数学もまったく同じことだと思う。

言葉の部分がギリシア文字だったり数字だったりアルファベットだったりになっているだけで

やっていることは一緒。

数学で言う<定理>というのは哲学で言う「格言」で

数学で言う<証明>というのは哲学で言う「その格言が出来た理由」を指す。





数学者というのはいつも「今」のことには興味がない。

いつも「未来」を見ている。

それが、数学者にとっての「果てしないロマン」である。



数学とは「未来への哲学」である。






拙い文章お読みいただきありがとうございました。






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