【見た目】チー牛と外見差別 ブサイクは損し続ける

自称ブサイクの私がチー牛、外見、外見差別について考える。

外見差別は昔からある

外見差別は昔からあり、かっこいい人、きれいな人、かわいい人がいいとされている。外見によって、態度、口数、笑顔の度合い、盛り上がり、店のサービスは変わってくる。ブサイクな人は馬鹿にされ、気持ち悪がられ、理不尽に耐えてきた。

同じ行動でも外見によって異なる認識

人は見たいものを見たいように見て、見たくないものは見えない、もしくは意識しない。都合のいい生き物だ。具体的には、ブサイクが勉強=ガリ勉、イケメン、美人が勉強=知的、賢い。合理性なんてかけらもない。

「ブサイクは性格が歪んでいるから嫌だ」は言っている自分たちのせい

ブサイクの性格を歪ませているのは他人、学校社会のせい。何をしても、認められない、注目されない、馬鹿にされる。勉強やスポーツで結果を出しても、評価されない、注目されない。性格は歪んで当然だろう。自分ではどうしようもないのだ。明るい人が学校では好まれる。しかし、ブサイクが明るくいると、イキっていると思われ、調子に乗るなと言われるのがオチだ。馬鹿にされ、気持ち悪がられて生きてきたブサイクな人にとって、明るく、ポジティブに生きろと言う方が難しい。ただ、理想を押し付けているだけだ。

最近チー牛という言葉が話題になっているだけ

画像が流行り、話題になっているだけだ。ブサイク=チー牛という認識をしている。チー牛の方が直接的でないからいいのかもしれない。ネットスラングは寿命が長いので、なくならないだろう。相変わらず、ネット民は馬鹿にするのがお好きですね。

外見差別はなくならない

個人的にはブサイクにも人権を与えてほしいと願っているが、外見差別はなくなると思えない。社会生活のあらゆる場面で、ブサイクな人はしてしまう。

外見と少子高齢化

少子高齢化が進んでいる現在、ブサイクのせいにする意見も見られるが、それは理不尽だし、あたらないだろう。社会生活において、経済的にも、扱われ方でもたくさんのメリットばかり享受する外見のいい人が中心に解決していくべきだ。良い遺伝子なのだから、外見の良い、もしくは、非凡な才能を持った人が生まれてきやすいのではないか。ブサイクに積極的に子供を作れと言うならば、ブサイクが増えても文句は言えない。もしそうなった場合、いい異性がいないと言い始め、ネットでは新しいスラングが生まれるだろう。
※子供を作るのは外見に関係なく、個人の自由です。これは私の主観です。

外見を経済学的に論じた本

※外見に自信がない方は読まない方がいいです。絶望します。解決策の記述がほとんどなく、救えないことを示唆している。

「美貌格差: 生まれつき不平等の経済学」

私の子供・結婚についての考え

結婚もしなくていい。子供もいらない。子供は経済的にも、遺伝的にもリスク大きすぎる。学校教育に搾取される。結婚は時代遅れだと思う。私に似たらと考えると怖い。子供がかわいそう。「日本の人口が減る」?ブサイクな私には関係ないです。イケメンと美人で何とかしてください。(日本は人口多すぎる。減っても問題ない。)

最後に

ブサイクを救ってください。救う方法はないかもしれない…。イケメン税は実施はほぼ不可能ではあるが、いい考えだと思う。