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0156 支払い、働き、また支払う

「稼ぐTOKYO」にしたいと都知事が言っていた記憶がある。

稼ぐことは大事なことだ。「経済を回す」ことは、生きていくために重要なことの一つである。

そう、大切なものの「一つ」に過ぎないから、これだけだととてもつらい。
だから、ぎらぎらと、「買って!」「消費して!」と訴えてくるような街、TOKYOに、私は休みの日に出かけようと思えないのである。

例えば、私にとっての公園は、思考を0にする場所だ。
たとえそこにある植物が、人間の意図によって置かれているものであっても、人工物でない限り、意志を、思いを、伝えてくることはない。
ただそこにいて、彼らは生きているのだ。(※個人的感想)
そういった場に行くと、本で読んだことなどがふっと湧いて、趣味の創作のアイディアになったりする。仕事での発想力にもつながったりするのだ。

しかし、TOKYOの公園、特に都心ともなれば、人が集まる場所ゆえに、イベントだなんだと音が溢れている。そこで金を払わないと座れず、ぼんやりすることもままならない。
あれはどう、これはどう、と次々声をかけられている気持ち。私のなけなしの想像力は騒音でかき消され、ぐったりとなるのである。

経済を回すのであれば、地元でいいかな。
あの喫茶店、この居酒屋、地元であれば、そっとしておいてくれる。
小さな公園でも、川べりでも、好きにくつろげる。
この、「自分のペース」がとてもいいのだ。お金を出すにしたって、そのスピードを保ちたい。

何故って、お金は労働で稼いでいる。
その労働で四苦八苦しているのに、今度は消費で息切れを起こさなくなっていいではないか。
同じ酒、同じくつろぎであれば、自分の速度、自分の気持ちを維持できるところで十分である。
それでは私は十分満たされる。

私は、「こんなにかわいい」「こんなに充実」と誰かに言うために働いているのではなくて、日々生きていく糧を得るために仕事をしているのだ。(基本的生活は大事デス)
その隙間で、息を大きく吐き出せる場所に、お金を支払う。

もっともっとと、何かに吸い取られているような気晴らしを提案する、TOKYOは、私にはちょっとつらい。

私の労働を吸い、対価としての賃金を吸い取り、別の場所で吐きだす。
私にとってのTOKYOは、そういう場所。

長渕剛の歌を思いだしながら、そんなことを考える。
”ケツの座りの悪い都会” ”花の都 大東京”
言いえて妙である。


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