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ヨロイのマスク

全国的に、「アレ」が流行っている。
楽しく嬉しい流行だといいのだが、そうではなく...

そう、インフルエンザだ。

私の住む地域でも爆発的な流行で、大人も子どもも、誰も彼もというほど罹っている。
仕事で頻回に医療機関や透析施設、老人介護施設を出入りする私としては、自分が外から持ち込むのも、そこから自分がうつされるのも絶対に避けたい。

ちなみに我が家では年末に二人やられたが、私を含め残りの二人はなんとか罹らずに持ち堪えたところ。

そんなこんなで、毎日私はウイルス感染と闘うべく、マスク着用で通勤、勤務しているのである。

***

いまや、年中花粉症やら感染症で、マスクをするという行為は一般の人たちにも、当たり前というか、違和感のない格好として受け入れられるようになってきた。

昔なら、マスクをしていたら、
「あれ?どうしたの?風邪?大丈夫?」
などと、ある意味特別扱いを受けていたが、
この格好が当たり前すぎてもうあまり突っ込まれることがなくなった。


だが、マスクというのは顔半分がしっかり隠れてしまう。
感染症予防の観点からしたら問題ないのだが、
薬局で患者さんと接していると、こちらがどんな表情をして患者さんのお話を伺わせてもらってるのか、患者さんサイドから分かりにくいようだ。

患者さんが、ご自身の辛いお話を話してくださり、感謝と労いの気持ちを込めて私が言葉をかけても、あちらからは私の顔半分が“ワカラナイ”。

言葉と表情はセットだからだ。

こちらが発した心からの言葉も効果半減という印象を受ける。


また逆に自分自身が病気になり患者として受診するときにも、医療スタッフや医師が皆マスクで完全防備しているのを見ると、どれだけ言葉をかけられてもどこかバリアをされているような隔たりを感じてしまう。

仕方のないこととはいえ、ちょっと残念な気持ちになる。

まさにマスクは、ウイルスや菌を取り込まないようにしようと装着する“ヨロイ”。

そして、思いもよらない副作用としての気持ちや意思疎通の“ヨロイ”。

さらに、大勢の知らない人や他人が行き交う通勤電車や街中では、(感染症予防の観点以外の点で) マスクは却って周りの人との距離を作る、プライベートな場所を作る“ヨロイ”となり得るのかもしれない。
(イヤフォンで音楽を聴きながら街を歩いたり、ウィンドーショッピングしたりするのと感覚は似ている。私は音楽聴いてるんです。自分の世界に入ってるんです。話しかけたり関わりを持とうとしないでください。軽くほっといてください。...てな感じである。)

また見知った関係の人間が多数いる場に居合わせたとき、自分の表情や感情を悟らたくないとき使う“ヨロイ”として便利な時もあるかもしれない。

いろんな場面のヨロイのマスク。

もっと踏み込みたい、話を聞きたい時には邪魔でしかないヨロイだが、
パーソナルスペース確保のためのヨロイにもなりうる。

インフルエンザの流行が早く終わってほしいし、それによりマスクを外して患者さんとは「生身の」顔を突き合わせたいと願う一方で、

「ちょっと鼻水や咳出るんで...」などと嘯いて、都合の悪い状況で自分のことを守るためだけ、はたまた街中で自分の場所を確保するだけで装置するヨロイとしてのマスクは外し難いものだなぁと思っている。


ひとまずインフルエンザの終焉を願うが、その頃には花粉が飛散し始めるだろうか。辛うじてまだ花粉症にはなっていない私であるが、世の中の多くの方が悩まされているのを見ると他人事とは思えない。

まだまだマスクの出番は終わりそうにないか...

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